さらば虎ハンター 小林邦昭さん死去 80年代新日マット熱狂させた初代タイガーマスクのライバル がんで闘病繰り返す

 1980年代前半に一大ブームを巻き起こした初代タイガーマスクとの抗争で人気を博し、「虎ハンター」の異名を取った元プロレスラーの小林邦昭(こばやし・くにあき)さんが9日に死去したことが10日、分かった。68歳。長野県出身。2000年の引退後も単発で試合に出場するなど表舞台で元気な姿を見せていたが、複数の関係者によれば、ここ数カ月間はがんで闘病生活を送っていたという。昭和の名レスラーが、また一人旅立った。

 若手時代からの盟友を失った初代タイガーマスクこと佐山聡(66)は「ショックです…」と、力なくつぶやいた。

 82年10月、凱旋帰国して人気絶頂のタイガーとの抗争に突入した小林さんは、赤いパンタロンをトレードマークに虎ハンターとして大ブレーク。マスク剝ぎなどでタイガーの怒りを引き出し、視聴率20%を超える新日本ブームを巻き起こした。

 その後も時には戦い、時には組み、時にはイベントで共演してきた2人。現在に至るまで親交が続いていただけに、佐山の悲しみは計り知れない。最後に会ったのは今年1~2月ごろで、その時は元気だったという。

 若手時代に新幹線の東京-新大阪間で食堂車の全メニューをたいらげた健啖(けんたん)家エピソードは有名で、引退後も激しいトレーニングで現役の肉体を保っていた小林さんだが、後半生はがんとの戦いだった。

 現役時代の92年に大腸がんが見つかり、約半年の休養期間を経て93年に復帰。99年には肝臓に転移し、肝臓の半分を切除した。引退後も2度、肺がんの手術を受けた。複数の関係者によれば、ここ数カ月も、がんで闘病生活を送っており、体調には波があったようだが、体重はかなり減っていたという。

 反体制を貫いたプロレス人生だった。タイガーと抗争し、長州力らと本隊に反旗を翻して維新軍を結成。全日本では2代目タイガーマスク(三沢光晴さん)と抗争し、新日本復帰後は空手の誠心会館との抗争をきっかけに、越中詩郎らと反選手会同盟(のち平成維震軍)を結成した。

 一方で、フィッシャーマンズスープレックスホールドなどの確かなテクニックからラフまでこなす高い実力と、優しく親切な人間性で団体からの信頼も厚かった。馳浩の凱旋帰国初戦や獣神ライガー(のち獣神サンダー・ライガー)のデビュー戦などの重要な試合で対戦相手を務め、引退後も新日本の基盤である道場の管理を任されて若手を育成し、IWGP実行委員も務めていた。

 昨年10月30日、小林さんはストロングスタイルプロレスの新宿大会でトークショーを行った。マスク剥ぎを「チャンスをつかもうと必死だった」と振り返り、闘病中の佐山に花束を贈るなど元気な姿を見せ、プロレス界をバックアップしていくことを約束していたが、それから1年もたたずに不帰の客となった。

 ◆小林邦昭(こばやし・くにあき)1956年1月11日、長野県出身。丸子実業高陸上部では砲丸投げの選手。72年に新日本プロレスに入門した。73年デビュー。80年からメキシコ武者修行。82年10月に凱旋帰国した。初代タイガーマスクと抗争。マスク剥ぎで「虎ハンター」として大ブレークした。維新軍に参加。84年にジャパンプロレスに移籍し、全日本プロレス参戦した。2代目タイガーと抗争。87年に新日本復帰。91年に誠心会館と抗争。92年に越中詩郎らと反選手会同盟(後の平成維震軍)結成。00年に引退した。183センチ、105キロ。必殺技はフィッシャーマンズスープレックスホールド。主なタイトル歴に世界ジュニアヘビー級王座、IWGP同級王座など。愛称は三平(サンペイ)。

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