自身が逃した王座を裁いたレフェリー、ベルトを巻く前に新王者の堤が告げたこととは

 10月13、14日に有明アリーナで行われたボクシングの7大世界戦。WBA世界バンタム級タイトルマッチのリングで井上拓真(大橋)を判定で下した堤聖也(角海老宝石)の手を掲げたのは、この王座に挑んだ経験のあるレフェリーだった。元日本バンタム級王者で、現在は日本ボクシングコミッション(JBC)の審判を務める池原信遂さん(48)だ。

 「他のタイトルとは違う。どんな気持ちになるかと思った」と臨んだリング。しかし「いざとなったら特別な気持ちはなく、冷静にレフェリングできた。もうすっかりこっち側の人間になったなと」。黒革に金色の王冠が輝く伝統のWBAのベルト。そこに残していた思いは消えていた。

 池原さんは、17年前の2008年1月10日に大阪府立体育会館(現エディオンアリーナ大阪)で、同級王者のウラジーミル・シドレンコ(ウクライナ)に挑戦した。辰吉丈一郎に憧れて高校卒業後に故郷の富山から大阪帝拳に入門。31歳でようやく巡ってきたチャンスだった。

 相手は旧ソ連から台頭したアマ大国のテクニシャン。持ち前の強打でKO勝利を積み上げてきた自信が池原さんにはあったが、守備的だと見られていた相手のパンチは石のように硬かった。2回に強烈な右カウンターを食らってよろめいた。「どうしたらいいかわからなくなった。苦しい、苦しいと」。王者は3年間で5度の防衛を果たしていた。一方、自身は元世界王者の世界ランカーをKOで下したのが「唯一の世界レベル」。キャリアの差を痛感した。

 当時WBC王者の長谷川穂積との「世界バンタム級ダブルタイトル戦」と銘打たれた舞台は、恩師の吉井清・大阪帝拳前会長の追悼興行でもあった。世界への道を拓くために主戦場から階級を下げ、10キロ以上の減量を自らに課した大勝負に、0-3判定で敗れた。

 09年の試合を最後に引退し、会社員をしながら13年に審判員に転身。コロナ禍の20年11月、現3階級制覇王者の中谷潤人(M・T)の世界初挑戦で、初めて世界戦のレフェリーを務めた。3度目の世界戦のレフェリングとなった今回、自身が目指した王座を裁いた。

 歓喜に沸くリング上で新王者にベルトを巻くのはレフェリーの役目だ。堤はそれを制して言った。「すいません。先にいいですか?」「穴口に」。昨年12月、日本王座の防衛戦で戦い、右硬膜下血腫のため2月2日に23歳で亡くなった穴口一輝さんのことだった。

 天国の戦友にベルトを掲げるのを待って、レフェリーは勝者の左手を上げた。井上拓がそれをたたえた。感情を封じていた池原さんの表情が少し緩んだ。

 前王者も新王者も、人生をかけて戦った。そして、勝負は紙一重で決まる。誰よりもその機微を知っている。だからこそ「4回戦でも世界戦でも、気持ちの高ぶりなく冷静に裁きたい」という矜持とともに、彼らの思いを見守り続けていく。

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