アントニオ猪木vsマサ斎藤、伝説の87年10・4“巌流島の死闘”とは何だったのか

昭和の名プロレスラー、マサ斎藤さんがが亡くなりました。斎藤さんといえば、アントニオ猪木との“巌流島の死闘”で有名ですが…果たしてどんなものだったのか。歴史的な名勝負?それとも世紀の凡戦?

公開日:2018.7.22

昭和の名レスラー、マサ斎藤さん逝く

2018年7月17日デイリースポーツ紙面

 アントニオ猪木との抗争などで一時代を築いた昭和の名プロレスラー、マサ斎藤さん(本名・斎藤昌典)が14日未明に死去したことが16日、所属事務所を通じて発表された。75歳だった。

マサ斎藤さん死す 昭和の名レスラーまた一人…猪木との巌流島決戦で一時代

 1999年頃にパーキンソン病を患い闘病中だった。

マサ斎藤さん死す 昭和の名レスラーまた一人…猪木との巌流島決戦で一時代

 ハイライトは87年10月に行われたアントニオ猪木との「巌流島での戦い」だろう。時間無制限、ノーレフェリー、無観客で行われた2時間15分14秒の死闘は裸締めに沈んだが、両者の規格外の闘いは今なおファンの間で語り草になっている。

マサ斎藤さん死す 昭和の名レスラーまた一人…猪木との巌流島決戦で一時代

 今や伝説となっている、この“巌流島の死闘”。異例の環境で行われた一戦は、果たしてどのようなものだったのでしょうか。当時のデイリースポーツの記事を全文書き起こしてみます。

昭和巌流島大騒動の巻、前代未聞・大流血2時間余

1987年10月5日デイリースポーツ紙面

 大流血の超ロング死闘!猪木が武蔵になった―。アントニオ猪木―マサ斎藤の“巌流島の決闘”は四日、山口県下関市の沖に浮かぶ巌流島で行われ、2時間5分14秒に及ぶ長時間の死闘の末、猪木がTKO勝ちで斎藤を血海に沈めた。夜明けを合図に始まる予定の決闘だったが、両者の心理作戦が延々と展開され、試合開始は午後四時三十分。締め技の応酬が続いた激闘は、猪木が頭突き4連発で斎藤の額を割ったが、斎藤もかがり火のマキを使った凶器攻撃で猪木を流血させる。両者大流血のなか、斎藤がバックドロップを出せば、猪木も延髄切りをサク裂させ、最後は裸締めでTKOする壮絶な幕切れ。ヤミに包まれた巌流島を猪木・武蔵、斎藤・小次郎とも無言のまま去って行った。

巌流島で行われた、アントニオ猪木対マサ斎藤=1987年10月4日 

 武蔵の魂が猪木に乗り移っていた。うつろな視線が何かを追い続ける。精も根も尽き果てた超ロング死闘。血まみれの闘魂は小次郎の亡霊を求めるかのように、島をさまよい歩く。その時“現代の小次郎”斎藤は草原を血に染めながら倒れていた。7514秒の死闘は終わった。猪木が武蔵になったのだ。

◆プロローグ

 決闘は夜明けを合図に静かに幕を開けた。だが、現代の巌流島には武蔵も小次郎もいなかった。下関市内の宿舎で“時”を待つ両雄。いずれもが武蔵になろうという思いは強烈だった。刻々と過ぎゆく時間が島の表情を変えていく。一向に姿を現さない両者。微妙な駆け引きが、始まっていたのだ。

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