大久保が亡き父に捧げる100ゴール
「J1、川崎4-0浦和」(13日、等々力)
川崎のFW大久保嘉人(31)が浦和戦の後半4分にPKを決め、J1通算100得点を記録した。史上11人目。日本人では7人目の快挙となった。7位の川崎は浦和に4‐0と完勝し、勝ち点を25とした。4位の横浜Mは首位大宮を2‐1で破り、同31。広島は終了間際の高萩のゴールでC大阪を1‐0で退け、同33で2位に浮上、浦和は3位に後退した。
FW大久保がJ1通算100得点を決めた。「PKの場面はレナトに『きょうだけは蹴らせてくれ』と頼みました。今までのPKの中で一番緊張しました。(11年目での偉業に)名前を刻むことができてうれしいです」。記念すべき1点は、右足から流し込まれたPKだった。
天に見せたい顔があった。今年5月12日に父・克博さんが他界。父のいなくなった病室に、家族に向けられた手紙があった。「嘉人、サッカー頑張れ。身だしなみもしっかりしろ。長い髪はみっともない。髪を切ること」。震える手で書かれた遺言。胸がいっぱいになった。
帰京後、短髪姿で努めて明るく振る舞ったが、ある時、漏らした。「もっと、お父さんと話をしとけば良かったかな」。身につけた腕時計は自らが父に贈った記念品。「還暦祝いであげたやつ。俺、腕時計するの嫌いやけど、これは形見としてずっとつけていくわ」。亡き父と共に歩いていくと決めた。
家族にも見せたい背中があった。今季から川崎に移籍。J2に降格した古巣・神戸から出ることに抵抗がなかったわけではない。それでも「まだまだできることを証明したい」。引っ越し直前、次男は幼稚園に通園するバスの中で泣いたと聞いた。「寂しいと言っていて、申し訳なく思った」。等々力のスタンドには、家族の姿。この日は誇らしかった。
息子としても、父親としても、サッカー選手として突っ走ってきた。「サッカーをしていなかったら、どっかでのたれ死んでたと本気で思う。サッカーやれてて、本当に良かった」と真顔で語る。31歳。その言葉には、これまで支えてくれた家族、サポーターへの感謝の意が詰まっていた。