J2愛媛被災地復興へ俺たちのアシスト
J2愛媛FCの選手、スタッフ計25人とサポーターらが10月28日、2011年3月の東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県名取市の閖上地区で、側溝捜索ボランティアに参加した。同地区で今も残る41人の行方不明者発見への手がかりを探す活動で、宮城県出身のMF東浩史(26)らがシャベルを手に泥だらけになって遺留品などを取り出した。「復興のために、できることはたくさんある」‐。選手らは今後も復興支援継続を誓った。
目の前に広がる景色に、愛媛FCの選手たちは言葉を失った。家屋の基礎部分だけが残る更地がどこまでも続いている。
震災で約800人が犠牲になった閖上地区。宮城県出身で、高校時代は名取市に住んでいたMF東は「何もなくて、衝撃的だった。まだまだ復興は遠いと実感した」と振り返る。
10月28日、この地で広がりを見せている側溝捜索ボランティアに参加した。7月に愛媛FCサポーターがこのボランティアを行ったことを知り、チーム内にも「自分たちもできないか」と声が上がった。
東と選手会長のMF渡辺一仁(28)が発起人となり、現地で活動する復興支援団体に連絡。シーズン中ながら、チームとしての被災地訪問が実現した。石丸清隆監督(40)は「1日練習を休んだからって、サッカーがどうこうなるわけではない。それより、社会人として大事なこと」と参加を快諾した。
クラブからも後押しを受け、敵地で行われたリーグ第38節・山形戦の翌日、スタッフを含めた遠征メンバー全25人とサポーター有志が、バスで閖上地区に入った。
同地区では津波により、犠牲者のほとんどが内陸部に押し流されたと考えられており、その過程で側溝に吸い込まれた可能性がある。今も41人の行方不明者がいるが、自衛隊も警察も側溝には手をつけていない。
一方で、住民の間には元の場所で暮らしたいという要望が強い。盛り土でかさ上げし、新たに住宅や公園を整備する「復興まちづくり計画」が進められている。
計画が実行に移れば側溝も埋められてしまい、そこに残されているかもしれない行方不明者発見への手がかりは失われてしまう。
選手、スタッフ、サポーター全員が一丸で、泥だらけになりながら側溝にたまった土砂をシャベルで掘り起こした。出てきたのは衣類や靴、食器、おもちゃ…。
津波に襲われる直前まで、人々の生活の中でごく当たり前に使われていた物だ。それらの中の1つだけでも、行方不明者の発見につながれば‐。そんな思いで懸命に作業を行った。
生徒14人が犠牲になった閖上中学校も訪問した。息子を亡くした遺族の女性から、震災当時の話や現在の心境も聞いた。渡辺一は「つらい経験を、笑顔で話してくれた。被災者の方たちの思いが、今までより身近に感じられた」と話した。
愛媛だけではなく、Jリーグ各クラブが震災直後から熱心にチャリティー活動を行ってきた。鹿島・小笠原(岩手県出身)やG大阪・今野(宮城県出身)らを中心に、東北出身選手が復興支援の会「東北人魂」を結成。東も名を連ね、被災地でサッカー教室を開くなど活動を続けてきた。
あの津波で、東は親戚を亡くした。両親は今、名取市に住んでいる。復興の役に立ちたいという思いは、だれよりも強い。だからこそ、首を横に振りながら言葉に力を込める。
「まだまだです。2年半以上が過ぎたけど、被災地のためにできることはまだまだある。実際に被災地に行かなければ分からないことがたくさんある。側溝捜索も人手が足りていない。これからも続けていきたい」