星稜・河崎監督就任30年で悲願達成
「全国高校サッカー選手権・決勝、星稜4-2前橋育英」(12日、埼玉)
悲願達成の瞬間、河崎監督は埼玉スタジアムから約350キロ離れた愛知県豊田市内の病院にいた。大会直前にテレビ関係者が運転する車に同乗して事故に遭い、腹部を緊急手術。決勝は病室でテレビ観戦したようだ。
星稜の監督に就任したのは1985年。当時、石川県はサッカー不毛の地だった。河崎監督は厳しい指導で選手を鍛えつつ、ブラジル人コーチを招くなどして意識改革。小学生、中学生年代のチームも立ち上げ、サッカーの裾野を広げた。
最大の転機は日本代表FWの本田が入学した02年。本田が大阪出身だったように、この年から県外の選手を積極的に受け入れ、チーム力が上がった。今年も鈴木主将や森山ら主力の大部分が県外出身者。河崎監督は「地元の子と県外の子がいい化学反応を起こす」と話す。監督就任から30年、ようやく大きな夢がかなった。