C大阪3季ぶりにサクラサク 柿谷涙のJ1復帰「最高です」
「J1昇格プレーオフ・決勝、C大阪1-0岡山」(4日、キンチョウスタジアム)
J2・4位のC大阪が同6位の岡山を1-0で下し、14年以来3年ぶりのJ1昇格を決めた。99年に昇降格制度が始まって以来、3度目のJ1昇格。大会規定上、引き分けでも昇格が決まったが、後半7分にCKからMF清原翔平(29)がこぼれ球を押し込んだ。右足首の手術などで長期離脱した主将FW柿谷曜一朗(26)、6月にドイツから復帰した代表MF山口蛍(26)は、悲願達成に男泣きした。
このピッチで涙を流したのは、いつ以来だろう。3季ぶりのJ1昇格を告げる笛が鳴り響くと、あおむけになって見上げた雨空がにじんだ。降りしきる雨と混じった涙が、柿谷のほほを伝った。「うれしいです。みんなで勝ち取ったJ1への道なので、最高です」。14年7月。スイス1部バーゼルへの移籍を前にした最終戦の後、サポーターに向けて「8番がもっと似合う選手になって帰って来たい」と涙で誓ったのも、同じスタジアムだった。
欧州挑戦から1年半。今季古巣に復帰する際に打診された背番号8を一度は固辞した。だが、クラブ幹部から「帰って来るなら8番以外は許さない」と諭され、覚悟を決めた。主将に就任し、チームの先頭に立ち続けた。
痛む右足を引きずりながらピッチを駆けた。6月に右足首を負傷。再検査の結果、8月に手術に踏み切り、11月に実戦復帰を果たすまで約5カ月を要した。プレーできない日々に焦燥感も募ったが、リハビリ期間中はメディカルスタッフがいつも寄り添い続けた。「感謝してもし切れない」と頭を下げた。
右足は完治には程遠い。リハビリ手順を省略し、無理やり復帰にこぎつけた。患部は限界に達しており「最後の方は足も痛くて『頼む、守ってくれ』と思っていた」と明かした。
試合前には柿谷の発案で、29日の航空機墜落事故で犠牲になったFWケンペス選手(享年34)のユニホームを着用して入場した。12年にプレーを共にした元同僚に対して「見ててくれてると思っていたので、恥ずかしい試合は見せられなかった」と思いをはせた。
柿谷が戻ったことでチームは息を吹き返した。MF山口は「セレッソは曜一朗君のチーム」と全幅の信頼を寄せた。昨年のプレーオフ決勝で引き分け、最後の最後にJ1昇格を逃した試合などを題材にしたモチベーションビデオをチームで視聴。昨年の悔しさで一つになった。
大熊監督はチームの変化についても「苦しい時にチームのことを深く考えられる選手が増えてきた」と話した。“大人の集団”へと成長したセレッソが、ついにJ1へ返り咲いた。