西野新監督、バレンタインのチョコ岡ちゃんに分けていた!?

 日本サッカー協会は9日、都内で会見し、日本代表のバヒド・ハリルホジッチ監督(65)を解任し、後任に、96年アトランタ五輪代表を率い、ブラジルを撃破する“マイアミの奇跡”を演出した西野朗技術委員長(63)が就任したと発表した。西野新監督は12日に就任会見に臨む。

 【西野朗新監督アラカルト】

 ◆生まれ・サイズ

 1955年4月7日、埼玉県浦和市(現さいたま市)出身。182センチ、74キロ。

 ◆選手経歴 ポジションはMF。浦和西高を経て、早大に進学。大学在籍時に日本代表に選出された。78年に日立製作所に入社し、日本リーグでプレー。90年に現役引退し、指導者に転身した。日本代表では国際Aマッチ出場12試合1得点。

 ◆指導者経歴 94年にアトランタ五輪代表監督に就任し、28年ぶりに五輪本大会出場に導く。96年の本大会では1次リーグで敗退したものの、サッカー王国のブラジルを1-0で破り、“マイアミの奇跡”と呼ばれた。その後、98~01年に柏、02~11年にG大阪、12年に神戸、14~15年に名古屋を指揮。柏時代の99年にナビスコ杯(現ルヴァン杯)を制覇。G大阪時代には05年にJ1、07年にナビスコ杯、08年にアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)を制覇し、クラブW杯3位。08~09年には天皇杯で連覇に導いた。J1通算270勝は歴代最多。

 ◆モテモテ伝説

 端正なマスクから、高校時代からの異名は“貴公子”。早大時代には多くの女性ファンが西野氏目当てに東京・西ケ丘サッカー場に詰めかけ、ケガをすれば病院にまで押しかけてパニックとなったという逸話を持つ。バレンタインデーには大量のチョコレートが送られ、後輩の岡田武史氏(元日本代表監督)に分けていたとか。

 ◆西野語録

 攻撃的なサッカーを好み、G大阪時代に掲げたキャッチコピーは「超攻撃」。ダンディズムの塊のような指揮官は独特の語録も魅力。「殴られたら殴り返すスタンスではなく、一方的に殴り続けたい。奇麗な顔で終わりたい」「流れの中で取られてもおかしくない立ち上がりだったので、逆に早く殴られろというふうに思っていた」と荒々しいコメントも。また、期待をかけている選手を「ヤツ」と呼ぶ傾向がある。

関連ニュース

編集者のオススメ記事

サッカー最新ニュース

もっとみる

    主要ニュース

    スコア速報

    ランキング(サッカー)

    話題の写真ランキング

    デイリーおすすめアイテム

    写真

    リアルタイムランキング

    注目トピックス