広島・青山敏弘 大ケガの連鎖乗り越えた不屈の復活劇
爆発力は時に、自分に対しても刃を向ける。60メートルのロングシュートを決めるパワー。一発で局面を打開する破壊的なパス。「広島のエンジン」と絶賛された圧倒的な運動量。
しかし、その強烈すぎる力は青山自身の体を傷つける。左膝前十字靱帯(じんたい)断裂や左膝内側半月板損傷で都合3度の手術。度重なる腰痛。昨年も右膝の故障でW杯の切符を逃した。そして今年1月のアジア杯で膝痛が再発。彼の姿はピッチから消えた。
サンフレッチェ広島のタイキャンプに戻ってきた時の彼は、歩くのがやっと。階段の上り下りも厳しい。声すらかけられない悲痛な状況。アジア杯期間中にもかかわらず、関塚隆技術委員長が同行してきた事実が、事態の深刻さの証明だ。
日本代表のメディカルは「手術は不可避」だと伝えた。手術をすれば今季絶望。選手生命終了の可能性もある。だが、手術しないで果たして治癒できるのか。
「治る膝だ」。スポーツ理学療法界で実績を残してきた亀尾徹メディカルアドバイザーの言葉が、背番号6に勇気を与えた。手術をせずに治療する。青山の決意に応えるべく、亀尾アドバイザーやドクター、トレーナーらメディカルチームは全力を尽くした。
道は平坦ではない。3月31日、大分との練習試合に出場した後、再び膝に違和感。その後も一進一退。練習強度も上げられない。しかし青山自身も含めて誰も諦めなかった。治ると信じて闘いを続けた。やがて痛みも違和感も、少しずつ消えた。
7月3日、天皇杯・沖縄SV戦で実戦復帰を果たした後、首位・FC東京との決戦で得点の起点となり、磐田戦でも先制点を演出するなど勝利に貢献し続けた青山は、9月28日の名古屋戦で今季初のフル出場。タイでの辛い日々からは想像もつかない復活劇だ。
「自分は幸運です。感謝しかない。だからこそ結果を出したい」。若い頃から続く大ケガの連鎖の中でもなお、幸運と言い切る。その強さこそ、希望である。(紫熊倶楽部・中野和也)
◆青山敏弘(あおやま・としひろ)1986年2月22日生まれ。岡山県出身。ポジションはMF。作陽高を経て04年に広島入団。12年にJ1優勝に貢献し、ベストイレブンに選出。14年から主将を務める。日本代表は13年7月の東アジア杯で初選出。14年ブラジルW杯、19年アジア杯に出場。J通算351試合出場18得点。日本代表は国際Aマッチ12試合出場1得点。174センチ、75キロ。