闘莉王が引退会見 誇りは「気合」と「仲間」 楢崎氏、中澤氏も登場

引退記者会見で心境を語る田中マルクス闘莉王=東京・品川プリンスホテル(撮影・開出牧)
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 サッカー元日本代表で京都DFの田中マルクス闘莉王(38)が1日、都内で引退会見を開いた。「今日を持ちましてあっという間の19年間のプロ生活を引退します。たくさんの人たちに、ファンに、サポーターに、こんなしょうもない人間をね、支えていただき、感謝の気持ちで心が、胸がいっぱいです」と報告した。

 引退を決めた理由について、「少しでもこの炎が消えかかりそうな時があれば、どんな時であれ、年も関係なく引退しようと。サッカーに関しては失礼なことなくやっていかないといけないなと自分の中では決めていた」と明かした。“その時期”とは「去年の終わりごろ」だったという。ラストシーズンと位置付けた今季は、「相手チームのサポーターにも挨拶したい」という思いから、「ちょっと消えかかっていた炎を、最後のエネルギーに変えて」プレーしたと語った。

 キャリアで最も印象に残ったシーンに、2010年南アW杯でPK方式の末に敗れたラウンド16でのパラグアイ戦で、最後に「駒ちゃん(駒野)がPKを外した瞬間」を挙げた。「次のキッカーが自分だったということもあって。自分のところまでまわってきていたら、どうだったんだろうなと」という理由からで、様々な思いを巡らせてきたのだという。

 1番誇りに思うのは「一瞬も1秒も手を抜くことなく、全力で気合を入れてやってきたこと」。時折、感極まって声を詰まらせながら、「時には頭が割れていても、筋肉が“バナレ”ても、鼻が折れてでも…。ピッチに戻ろうとした。その気持ちは、誇りに思います」と絞り出した。また、「たくさんの素晴らしい仲間に出会えたことも誇りに思います」と感謝した。

 相手・味方を問わず、時にはサポーターとも激しい「ディスカッション」をしたこともあった。「許可がもらえれば、今までまだ言っていないサポーターたちにも頭を下げに(行きたい)。『すいませんでした』と、『ありがとうございました』を言いたいです」と、これからでも感謝と謝罪を伝えたいとした。後に続く日本サッカー界の選手たちには、「今は本当に、きれいなサッカーばっかり。そういう方向にサッカーが進化していっている。そういうことを求められている中での、やっぱり泥臭く、多少、技術がそんなに優れなくても、僕みたいにこう一生懸命やって、サポーターに喜ばれる姿勢をね、なくしてほしくないなと。そういう気持ちを伝えられるような選手が消えてほしくないな」と、闘莉王らしい言葉で思いを託した。

 今後のことは「まだ考えていないです」。一度、故郷のブラジルに戻り、「たくさんビールを飲んで。たくさん肉を食べて、10キロぐらい太って、皆さんに少しでも笑ってくれるような姿を見せてあげられればいいなとは思います」と笑顔を見せた。一方で、ブラジルに住む両親ら家族のことがずっと気にかかっていたといい、「少しでもこの(日本で過ごした)22年間、いなかったことをできる限り取り戻したいなと思います」としみじみと語った。

 会見終了時には、名古屋時代のチームメート楢崎正剛氏が登場したが、もう1人の代表時代の盟友・中澤佑二氏は都合で到着が遅れていた。闘莉王が報道陣へのお礼などを改めてして時間をつなぐ中、中澤氏も到着。中澤氏から「明日また現役復帰するというコメントを残すんじゃないかな」と、現役続行を勧められ、弱りながら否定していた。

 たぐいまれなリーダーシップでチームを率い、身体能力の高さ、確かな足元の技術、守備の感覚を生かし、広島-水戸-浦和-名古屋-京都で活躍した。リスクをおかしながらの攻撃参加で得点も量産し、リーグ戦ではJ1で395試合75得点。J2で134試合29得点、通算すると104得点を挙げている。

 ブラジル出身の闘莉王は03年に日本国籍を取得し、アテネ五輪に出場。A代表としては06年に初招集され、2010年南アフリカW杯に出場した。国際Aマッチ43試合出場8得点。

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