内田篤人、右SBでラストプレー&涙のセレモニー「全てが財産」 鹿島魂置き土産に
「明治安田生命J1、鹿島1-1G大阪」(23日、カシマスタジアム)
引退を表明した元日本代表DF内田篤人(32)が現役最後の試合となった鹿島は、終了間際のゴールでG大阪と1-1で引き分けた。内田は前半途中から出場し、攻守に奮闘した。
誰もいないピッチの中心で内田は涙した。試合後の引退セレモニー。「今日、僕はここでサッカー選手を引退します」と語り始めた。多くの仲間たちに丁寧に感謝の言葉を述べ「サッカーを通じて出会った全ての人に感謝します。また会いましょう」と最後は笑顔で締めくくった。
初めて自ら語った引退理由。それは“鹿島の選手”ではいられないという思いだった。「数多くのタイトルを取ってきた裏で、多くの先輩方が選手生命を削りながらプレーをしてきたが、僕はその姿を今の後輩に見せることができない。その思いを抱えて鹿島でプレーして良いのか」と考えていったという。
DF広瀬のアクシデントで前半16分からピッチへ。左腕にはキャプテンマークが、そして右膝には厳重なテーピングが巻かれた。14年W杯ブラジル大会のために保存療法を選択して大会に臨み、15年に手術した右膝。結果的には復帰と再発を断続的に繰り返し、現役引退につながった。
ただラストマッチでも、いつもと変わらない内田の姿があった。効果的な攻撃参加、糸を引くような美しい弾道のクロス。対戦したG大阪のDF昌子も「本人の決断ですけど、やっぱりまだやれるのではないかなと思ってしまう」と苦笑した。
鹿島を愛し、多くの人からも愛された。アップ中は本人をのぞいて全選手が背番号「2」のユニホームを着用。新型コロナの関係で観客数の上限5000人だったが、限りなく“満員”に近い4949人がスタジアムに。引退セレモニーでは、感謝の気持ちが書かれた横断幕が掲げられた。
鹿島に復帰した18年以降、満足にプレーできない時間が長かったが、積み上げてきた実績は色あせない。常勝軍団の3連覇に貢献。10年から渡ったドイツでは強豪・シャルケで定位置をつかんだ。11年には4強入りするなど、欧州CLの出場時間はいまだに日本人最長だ。代表としても北京五輪に2度のW杯を経験。特にブラジル大会ではチームは敗れたが出色のパフォーマンスを披露した。
「日の丸を背負ってプレーする重さも、殺気のあるドイツでのスタジアムも。つらさもうれしさもすべてが僕の財産です」。希代のサイドバックが惜しまれつつスパイクを脱いだ。
◆内田篤人(うちだ・あつと)1988年3月27日、静岡県東部の函南町出身。清水東から2006年にJ1鹿島入り、開幕スタメンを飾る。07年からの3連覇に主力として貢献。08年にはA代表デビュー。Aマッチ通算74試合出場。10年7月にドイツ1部シャルケへ。11年には主力として欧州CL4強入り。17年8月に当時2部のウニオン・ベルリン移籍。18年1月に鹿島に復帰した。176センチ、67キロ。