J1川崎・旗手怜央手記「ここからやり直そう」7・22仙台戦がターニングマッチ
「明治安田生命J1、川崎5-0G大阪」(25日、川崎市等々力陸上競技場)
川崎が2位G大阪を5-0で下し、2年ぶり3度目のリーグ制覇を決めた。4試合を残しての優勝は、2010年の名古屋の3試合を上回る最速。年間勝ち点75、勝利数24も34試合制の05年以降(2ステージの15、16年を含む)で最多となった。今季は、延長を除く同一シーズンのJ1新記録となる12連勝をマークするなど、第4節から一度も首位の座を譲ることなく独走。その強さを見せつける試合で優勝を決めた。川崎・旗手怜央選手(23)が手記を寄せた。
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プロ1年目のシーズン。僕自身、正直こんなに試合に出続けて、ゴールやアシストという結果は残せないんじゃないかと思っていました。決して満足という数字ではないですが、ここまで残せていることに驚きつつ、もっとできるのではと今後の自分に期待している部分もあります。
僕にとって今年のターニングポイントとなったのは、途中出場でアシストを記録したアウェーの仙台戦(7月22日)でした。ふがいないプレーが続いていて、前節の横浜FC戦はベンチ外。正直、仙台戦前はメンバー外を覚悟して「ここからやり直そう」と思っていたほどでした。0-2の後半からユアスタのピッチに立ち「この45分にかけないと、自分はこの後の試合に出られないぞ」と思いながら、強気なプレーが出せて勝利に貢献。徐々に自信をつけていくきっかけとなりました。
フロンターレには、刺激を受ける人がたくさんいます。挙げれば切りがないですが、同じポジションのアキさん(家長昭博)は、体の強さや技術に衝撃を受けました。いつもプレーを見ています。同じ大卒新人の(三笘)薫や、同年代の(田中)碧たちは公私を含めて支えになり刺激になる、僕にとって本当にありがたい存在です。
プロ1年目ですが、ここまで大きなケガなく来ることができました。筋トレなどで、体作りは自分で意識している部分でもあるけど、土台となっているのは両親からの贈り物である体だと思います。お父さん(※)が野球をやっていたので「なんでサッカー始めたのか?」とよく聞かれますが、気がついたらボールを蹴っていました。ただ、小さい頃は「え、サッカーやっているの?」って言われていましたね。
実は静岡学園高時代、ウェブのサッカーメディアで僕の特集記事が組まれたことがあったんです。すごくうれしかったんですけど、掲載されたのは半分ぐらいお父さんの話題。見た時は「何コレ!親父の特集じゃないか」って(笑)。今思えばですけど、悔しいと思う半面、それだけお父さんはすごかった。いろんな人に聞くと上背がない中、トップレベルでやっていたので、努力があったんだと思っています。
この取材でも「桑田さんや清原さんとキャッチボールしたことないのか」って聞かれました。どうなんでしょう(笑)。自分でもわからない。お父さんとはよくキャッチボールをしましたね。関東に引っ越してきた今では、毎試合応援にきてくれる父親というより1人のファンですね。
来季はACLがあります。今のサッカーがアジアでも通用するのか、自分の個の部分も含めて試してみたい。今のフロンターレには各ポジションに“絶対的”と言える選手がいます。今後、僕もそうなれるよう、やり続けたいと思います。(川崎フロンターレFW)
※父・旗手浩二氏は、高校野球の名門・PL学園で「KKコンビ」桑田真澄氏、清原和博氏の一学年先輩。ショートとして甲子園は春夏共に準優勝に貢献。
◆旗手怜央(はたて・れお)1997年11月21日、三重県鈴鹿市生まれの23歳。FC四日市から静岡学園の門をたたき、順大を経て川崎入り。力と技術を備えながら、攻撃的な複数のポジションをこなすマルチロール。今季はリーグ27試合に出場して、5得点4アシストを記録。U-23代表候補。家族は両親と姉。171センチ、71キロ。