佐藤寿人が涙の引退会見「ピッチの上で貢献できない…」盟友に報告「車で1時間泣いた」
サッカー元日本代表で、引退を発表した千葉FW佐藤寿人(38)が26日、オンラインで引退会見を行った。
「長かった21年だったと思います。濃い21年間を選手として過ごすことができましたし、いろんなクラブでプレーさせて頂いて、幸せな21年間だったと思います」と21年間の現役生活を振り返った。
引退の決め手について「ピッチの上で貢献できていないと感じていましたし、そういった中で決断しなきゃいけないなと思って決めました。痛いところもないしサッカーをやれる状態ではあるんですが本当の意味で貢献できているかと言えばそうではない。FWとして結果を出せているとしたらそうではないと考えたら、来季プレーするのがプロとしてどうなのかなという思いもありました」と明かした。
「家族は選手でいてほしいと思っているところがありました。コロナで中断しているときに子供たちと家の近くの公園で身体を動かすことがあって、長男次男は高校2年、中学2年とだいぶ大きくなっているので走りのトレーニングを3人でやったんですけど、長男、次男のほうが回復が早くて。冗談で引退だなといったんですけど。そのときは冗談半分でしたけど体力的な部分が若いころから落ちていますし90分出られていない」と体力の低下を痛感したところもあった。
「大好きなプロサッカー選手の仕事を離れていいのかという葛藤もありました」という中、11月にクラブに決断を伝えた。
引退を決めた11月。クラブより先に伝えたのは広島MF青山敏弘(34)だった。広島在籍時の好パートナーに電話で報告した。
「クラブに引退を伝えたその日、ジェフのクラブハウスに着いて車の中で青山選手に電話したところ、彼もずっと泣いてくれて。自分も泣いて、1時間くらい泣いていたので目が真っ赤になってクラブハウスに入れなかった。素晴らしいパートナー。若い頃から青山選手を見て1番誰よりも要求して、だれよりも答えてくれてたくさんのゴールを一緒に作ってくれた。感謝しかないです」と明かした。
また、エディオンスタジアムの思い出を聞かれると、涙を流す場面もあった。「泣くつもりはなかったんですけど濃い時間を過ごさせてもらったので。すいません…」と語尾は涙声でかすれた。
佐藤は市原(現千葉)の下部組織から00年、双子の兄・勇人とともにトップチームに昇格した。C大阪、仙台への期限付き移籍を経て、04年に仙台へ完全移籍。05年からは広島でプレーし、同年に18得点を挙げるなどゴールを量産し、3度のリーグ優勝に貢献した。17年名古を経て19年に千葉に復帰していた。
身長170センチと小柄ながら、裏に抜け出す動きとラストパスへの嗅覚鋭い反応でゴールを量産。J1通算161得点は大久保嘉人に次いで歴代2位。04年から15年までJ史上初の12年連続2桁得点を記録。2012年にはJリーグMVPと得点王(22得点)に輝いた。日本代表31試合出場4得点だった。