J1広島・城福前監督 父親のような愛情を奥底に秘めた指導力
「僕、ワイドでのプレーは無理なんです。シャドーでやりたい」
2019年4月9日、エディオンスタジアム広島のロビーで、森島司はそう訴えた。相手は、城福浩監督。プロ3年目、リーグ戦ではベンチにも入れていない若者が、指揮官に異議を唱えたのだ。
この年、森島はシャドーから右ワイドにコンバート。「複数のポジションでプレーできる方が出場の可能性がある」と指揮官は判断しての配置転換。だが、なかなか機能しない。絶対に勝利が必要なACL第3節・大邱戦を翌日に控え、監督は彼に「メンバーから外れてもらう」。その通達に若者の感情が爆発。冒頭の直訴につながった。
一選手が起用に異論を唱えるなど、有り得ない。普通の監督であれば、その訴えを退け、選手を干すだけだ。そうでなければ、組織を守れないと考えるもの。実際、そういう例は数多く聞いている。
だが、城福監督は違う反応を見せた。森島の訴えを聞き入れ、指揮官は4月23日の大邱戦から彼をシャドーで起用したのだ。森島は監督の意志に応えACL3試合で1得点3アシスト。アウェーでのメルボルン・ビクトリー戦後、中3日で浦和と闘う強行日程でもあえて森島を先発起用し1得点1アシスト、全4得点に絡む活躍を引き出した。
森島の直訴に対して城福監督は「全く、ネガティブな想いはなかった」と嬉しそうに表情を緩めた。その後も彼は野津田岳人の出場への想いを聞き、ボランチでの可能性を模索。今、彼は甲府でボランチとして活躍している。
「若手の成長を促し、青山敏弘や林卓人らベテランも再生させてくれた。感謝しかない」
仙田信吾社長は沈痛な表情で城福浩監督への想いを口にした。
口下手で嘘がつけない誠実さは、時に選手にとっては耳の痛い現実を突き付けられる。しかし、その奥底に生きている父親のような愛情にいつの日か、彼らは気づくだろう。その時きっと、城福浩という指導者の本当の力が、再評価される。
(紫熊倶楽部・中野和也)
◆城福浩(じょうふく・ひろし)1961年3月21日生まれの60歳。徳島市出身。現役時代のポジションはMF。城北高から早大を経て富士通でプレー。引退後は指導者となり、FC東京、甲府などを指揮。18年に広島の監督に就任し、4季指揮を執ったが、10月25日付けで退任した。