大津・平岡総監督 同じ九州の人間として「功績つなぐ」 小嶺忠敏さん悼む
長崎・国見高サッカー部を指導して全国高校選手権を戦後最多タイの6度優勝に導いた元監督の小嶺忠敏(こみね・ただとし)氏が7日午前4時24分、肝不全のため長崎市内の病院で死去した。
全国高校サッカー選手権で4強入りした大津高(熊本)の平岡和徳総監督(56)は小嶺氏の死去に「昨年12月中旬の公式戦で奥様に支えられるように歩かれていた。声を掛けられず、心配していた」と絶句した。
指導者になって以降、何度も相談をした。「一番学んだのは教え子への情熱。先生に追い付かなければ九州で一番になれないと思い、先生以上に(練習試合をするために)マイクロバスで走り回ろうとした」。昨夏の練習試合の際、小嶺氏がスポーツドリンクを作って選手に飲ませる姿に情熱の大切さを再認識。「思い出すと涙が出る」と惜しんだ。
準決勝の相手、関東第一が新型コロナ感染者が出た影響で出場を辞退し、決勝進出が決定。「先生は『日本のサッカーは九州から』を合言葉に、常にサッカーの未来を考えた。九州で近くにいた人間として、功績をつなげなければ」と語った。