森保監督の根底にあった“ドーハの悲劇”勝利つかみ取れたのは「経験が生きたのかな」

オーストラリアに勝利し、7大会連続7度目のW杯出場を決め、サポーターの拍手に応える森保監督=シドニー(共同)
W杯出場を決め抱き合って喜ぶ森保監督(右端)ら(撮影・棚橋慶太)
サポーターに向かいサムアップポーズを決める日本代表・森保一監督=スタジアム・オーストラリア(撮影・棚橋慶太)
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 「W杯アジア最終予選、オーストラリア0-2日本」(24日、シドニー)

 日本に7大会連続となるW杯出場切符をもたらした森保一監督が、この試合で勝利にこだわっていたことについて振り返った。日本はオーストラリアとの勝ち点差などから、引き分けでも非常に有利な立場を守れる状況だったが、引いて守ることはせず。その根底には、森保監督が現役時代に経験した“ドーハの悲劇”があったことを明かした。

 森保監督は「自分自身をふりかえると、選手時代にアジアの最終予選でW杯に手が届きそうなところで出場を逃した。最善の準備をしてベストをつくすということはその時もできたと思いますが、最後、夢がかかったところで、ゴール前で守れば守れるという、いわゆる守りに入ってしまったところがあったと思います」と語った。

 森保監督が出場していたのは、1993年10月のアメリカW杯アジア最終予選。当時はカタールでの集中開催で行われ、日本は最終戦でイラクに勝てばW杯出場が決まるという状況で、1点をリードして後半ロスタイムを迎えたが、コーナーキックからヘディングを決められ同点に。残りわずかな時間ではいかんともできずに、他会場の結果から、当時、初となるW杯出場権を逃した。

 森保監督は「そういった部分では自分たちからつかみ取りにいかなければいけないという部分の、自分自身の反省を生かした。今日の積極的に戦っていく、自分たちでオーストラリア戦そして、ワールドカップ出場、勝利をつかみ取ろうというところになったのは、自分自身の経験が生きたのかなというふうに思っています」と語った。

 今回は“ドーハの悲劇”を具体的な経験談としては示さず「積極と消極的なところがあれば、積極的なところを選択してプレーしてほしいと」と伝えたという。

 「最終目標はW杯でベスト16の壁を破って、ベスト8以上にいくということ」を意識しつつ、「常にその基準を忘れずに目の前の一戦一戦に全力を尽くすということでやってきたことは今日の試合でもできたかなというふうに思っています」とした。

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