森保監督ってこんな男 利他の精神は両親の影響、究極「選手ファースト」でカタールへ
「W杯アジア最終予選、オーストラリア0-2日本」(24日、シドニー)
日本が完封で7度目のW杯出場を決めた。森保一監督(53)は進退崖っぷちから大逆襲し、采配ズバリの“神タクト”で歓喜へ導いた。
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指導者としての根本には、利他の精神がある。それは両親の影響が大きいという。父洋記さんは8人きょうだいで、少年時代を過ごした長崎市内の実家は、親戚が集うたびに人であふれかえり「いつも誰かとご飯を食べていた」。常に人に囲まれていた両親を見ながら育ち「他者を尊重して接することを自然に学んだ」と振り返る。
そういった環境が選手を重んじる姿に結び付いたのかもしれない。「選手あってのチーム、選手あっての我々」と繰り返す。昨年9月の最終予選初戦。一度は招集した冨安に対しアーセナル移籍成立を優先させ、代表からの一時離脱を認めた。守備の要を欠き、試合には敗れたが、究極の「選手ファースト」を実践した。主将の吉田は「本気で選手のことを考えてくれる。みこしを担ぎたい、と思う監督であることは間違いない」と感服した。
監督としての手法は「マネジメント型」だと自認する。スタッフの役割分担を明確化し、「それぞれが持っているスペシャリストとしての力を借りながらチームを作っている」。上意下達のトップダウン式ではなく、あくまでも「横から目線」。公開される練習の大半では指導をコーチ陣に託し、チーム全体を俯瞰(ふかん)する。
大切にしているのは「許容する」こと。「できれば全てを許容したいが、糸の切れた凧(たこ)のように、みんながどこに飛んでいくか分からないということではない」。監督として共通目標を提示し「選手、スタッフが自分の立ち位置から責任を持って目標に向かっていけば、より強いチームになる」と信念を語る。
選手の自主性を「許容する」采配は批判も浴びたが、責任を持たせて成長を促す姿勢は、単なる指導者ではなく教育者の顔ものぞかせる。高校卒業後に入団したマツダ(現J1広島)では、総監督を務めた今西和男氏が「いろんな教育をしてくださった」という。東京教育大(現筑波大)出身の同氏から「サッカー選手である前に良き社会人であれ」と薫陶を授かり、組織の中で個を生かし、周囲とつながるすべを学んだ。
「自分がこのポストにいなくなっても、未来につながる何かを残したい」。そんな思いで代表監督という職務と向き合っている。「選手であっても監督であっても、チームの成功のために何ができるか考えるのは当然」。自己犠牲を思考の中心に据える指揮官は、カタールの地で監督生活集大成の舞台に挑む。
◆森保監督アラカルト
◆生年月日 1968年8月23日、静岡県掛川市生まれ。小学時代から長崎市で育つ。
◆選手歴 土井首SSでは小6年時にGKで全日本少年サッカー大会出場。長崎市立深堀中、長崎日大高を卒業後、当時JSLのマツダ(現J1広島)に入社。ボランチとして頭角を現し、1992年に日本代表入り。93年W杯米国大会最終予選で「ドーハの悲劇」を経験。J開幕後は広島、京都、仙台でプレー。2003年に現役引退。日本代表通算35試合1得点。J1通算293試合15得点。
◆指導歴 04年から指導者に転じ、U-20(20歳以下)日本代表、広島、新潟などのコーチを経て、12年に広島の監督就任。同年と13年の2連覇を含め、J1を3度制覇。18年から日本代表監督に就き、兼任監督を務めた東京五輪では4位。
◆家族 妻と息子3人。3人とも広島の下部組織出身で長男翔平はJ2(当時)讃岐や豪州でプレー。次男圭悟は流通経大を経て豪州などでプレー。2人は現在ユーチューバーで結成されたクラブ「Winner’s(ウィナーズ)」に所属。三男陸は立大在学中。