サッカー ウィットに富んだオシム語録「走りすぎても死なない」

 選手に細かく指示を出すオシム監督(左)=07年5月15日、千葉県内の練習場
 がっちり握手を交わし新生日本代表のスタートを切った(左から)五輪代表・反町監督、川淵キャプテン、日本代表・オシム監督=06年7月21日、都内のホテル
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 サッカー元日本代表監督のイビチャ・オシム氏が死去したことが1日、分かった。80歳だった。オシム氏が94年から02年まで指揮を執ったオーストリア1部のシュトゥルム・グラーツが発表した。

 オシム氏は2003年にジェフ市原(現千葉)の監督として来日。W杯ドイツ大会で日本が1次リーグで敗退した後の06年7月、日本代表監督に就任した。監督在任中は、哲学的であり、ウィットに富んだ表現であり、時に皮肉が交じった言い回しは「オシム語録」として知られた。

 以下印象的な語録を抜粋した。

 「あなたは息子さんを最後まであきらめずに走る子供に育てましたか?もしそうでなければ期待をしない方がいいでしょう。もしそうなら、私が責任を持って育てます」(03年2月、新加入選手懇親会で両親に)

 「ライオンに襲われた野うさぎが逃げ出すときに肉離れしますか?私は現役のとき一度もしたことはない」(03年4月、故障者が続出し)

 「ウチは勝ったり負けたりしているチームだが、その中で心臓が持つかどうかわからない。ヨーロッパで死ぬか日本で死ぬか、まだ決めていない」(04年11月、翌年の自らの去就に触れ)

 「疲れているのはわかるが相手も同じ。走りすぎても死なない」(05年4月、広島戦で)

 「チームを“日本化”させること。つまり日本代表が本来持っている力を引き出すことが必要だ。そして初心に帰ることも大切。日本人らしいサッカーをしようということです」(06年7月、日本代表監督に就任して)

 「協会とJクラブというのは本来、利害が一致しない。仲良くはできないが、同じ皿(サッカー)で飯を食っている。気に入らないからと、その皿にツバを吐けば、自分が食べる料理にツバをかけることで、食べられなくなる」(06年8月、Jリーグとの共存共栄を訴え)

 「ポスト・ナカタはだれか?答えたくない。もし答えれば戦争になる。記者に武器を与えたくはない(笑)。中田英寿よりいい選手が出てくることを望んでいる。そうでなければ全員でプレーするだけ。大事なのはチームの結束だ」(07年6月、日本外国特派員協会の記者会見で)

 「PK戦を見なかった?心臓に悪いですから。私は日本では死にたくない。死ぬなら故郷のサラエボで死にたい。見ていると勝てないというジンクスもあるんです」(07年7月、アジア杯準々決勝のオーストラリア戦をPK戦で勝利して)

 「向こう側の世界まで行って戻ってきました。こんなにフラッシュをたかれるなら化粧してくればよかった。それはともかく、人間だれでもこれだけはしたいと希望がある。それがあったから向こう側から戻って来れた。やり始めた仕事が完成できなかった。その思いが復帰を後押しした」(08年6月、脳梗塞に倒れてから初めて記者会見して)

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