開幕から20年 宮本恒靖理事が振り返る日韓W杯「世の中の中心にいるような感覚」
日本と韓国が共催した2002年サッカーW杯開幕から31日で20年を迎えた。日本代表の主将としてベスト16進出に貢献し、フェースガードを着用して「バットマン」の異名をとった日本サッカー協会の宮本恒靖理事(45)が30日までにデイリースポーツなどのインタビューに応じ、アジアで初めて開催された祭典を振り返った。
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-W杯日韓大会から20年。
「意外とあっという間だなと思っている。ピッチの風景やバスから見た景色、鮮明に覚えていることが多い」
-自身にとって、どんな大会だった。
「サッカー選手としての人生が大きく変わった。フェースガードをしていたことで、たくさんの人にも知ってもらえた。自分のキャリアの転換点だった」
-印象に残っている試合は。
「(日本史上初のW杯勝利となった)ロシア戦の勝利はやはり一番にくる」
-「葛城北の丸」(静岡県袋井市)の代表宿舎での忘れられないエピソードは。
「『笑っていいとも!』のオープニングで香取慎吾さんがフェースガードを着けて出てきた。世間の喧噪(けんそう)から離れたところにいたが、自分たちが世の中の中心にいるような不思議な感覚があった」
-日本中に大きなインパクトを残した。
「新幹線で移動する時、各駅にサポーターの人が待っていてくれて、ドンドンと窓をたたかれた。ちょっと考えられないくらいのフィーバーぶりだった」
-トルコ戦で敗退。1次リーグ突破で満足感もあったか。
「試合前の控室は確かにふわっとしていた。やけにはしゃぐ選手の声も耳に残っている。(トルシエ)監督もスーツの色を変えたり『あれっ』ということはあった」
-日本はW杯でベスト16と1次リーグ敗退を繰り返している。
「(自身が出場した)02年と06年を比較すれば、本当のW杯は06年だった。いろんなストレスから守ってもらえるのがホスト国のアドバンテージだが、06年はなかなか集中しにくかった。国としての歴史が力につながっていくが、06年はそれが足りなかった。ベンチメンバーの顔や雰囲気はすごく重要で、どういう気持ちでやっているかは大きな要素」
-W杯カタール大会への期待。
「ドイツ、スペインと真剣勝負の場でやれる。選手としては『やってやるぞ』という気持ちの方が強いし、そこを超えないとベスト8はない。欧州でプレーする選手が増えて、いろんな意味で評価の基準となる試合。ケガ人が出ないように本大会を迎えてほしい」