三浦知良が語るW杯「サッカーの頂点。55歳になっても憧れ抱ける」日本代表への期待も
開催国カタールは、1993年に日本代表がW杯初出場を目前で逃す「ドーハの悲劇」の舞台だった。同年に華々しく開幕したJリーグと、世界を目指す日本を象徴したスター選手が、FW三浦知良(55)=鈴鹿ポイントゲッターズ。キングカズが、W杯の魅力や日本代表への期待を語った。
あの年に、はるか遠い夢だったW杯が現実へと近づいた。「この約30年、Jリーグの成長と代表の成長がうまくリンクした。W杯に関してはドーハの悲劇から始まって(経験が)つながっているんじゃないか」。7大会連続出場で、常連国になりつつある日本の原点だったと感じている。
40年前、W杯に熱中した。「15歳の時に見た(82年)スペイン大会のブラジル代表が強烈に印象に残っている。サッカー選手として出なきゃ駄目だと思った」。ジーコら「黄金のカルテット」に魅了された少年は、単身ブラジルに渡ってプロに。日本サッカーの顔になったが、98年フランス大会は直前で落選。自身は夢舞台に立てていない。
W杯を「サッカーの頂点」と表現し「いま55歳になっても同じような憧れを抱ける。決して色あせないスケール感というか。あそこに行きたいという気持ちをずっと持っているような、そういう大会じゃないかな」と、屈託なく話した。
今大会の日本を率いるのは、ともにドーハの悲劇を経験した森保一監督(54)だ。「常に一歩引いた感じでチームを支えてくれた。監督でも、選手を立てて前に押し出して活躍させている。(持ち味は)そのままだと思う」
昨年11月に森保監督の激励を兼ねて“ドーハ組”のラモス瑠偉さん、武田修宏さんと食事をした。当時、日本はアジア最終予選で2敗を喫していた。「大変な時だったが(森保監督は)落ち着いていて、自分の意思を持って挑む覚悟ができていた顔だった」と言う。
大会公式スポンサーを務める中国の電機大手、海信集団(ハイセンス)日本法人からW杯アンバサダーに任命された。日本-ドイツなどを現地観戦し、動画投稿サイトでリポートも行う予定だ。
「4年前(決勝トーナメント1回戦で)ベルギーに逆転されて、ブラジルの知り合いに『日本は無知、サッカーを知らない』っていう表現をされた。吉田麻也主将(シャルケ)を中心に欧州のビッグクラブで活躍する選手もいる。試合を本当の意味でコントロールできるか。4年前より、もっと成長した姿を世界に見せてほしいね」。期待を胸に、あの時以来29年ぶりにドーハの地に立つ。
◆ドーハの悲劇 1993年10月28日、カタール・ドーハで集中開催された94年W杯米国大会アジア最終予選の最終第5戦、日本-イラク戦の呼称。勝てば日本初のW杯出場が決まる状況で、三浦知良と中山雅史の得点で試合終了間際まで2-1とリード。出場権を手中に収めたと思われたが、終了間際に右サイドのクロスからヘディングで同点ゴールを許した。2勝2分け1敗で並んだ韓国に得失点差で及ばず、最終予選3位で本大会出場を逃した。