【スポーツ界22年墓碑銘】オシム氏 Jクラブ、代表監督で日本サッカー界に多大な貢献
サッカー界に与えた影響は計り知れない。今年、80歳で亡くなったイビチャ・オシム氏は、旧ユーゴスラビア(現ボスニア・ヘルツェゴビナ)のサラエボで生まれた。現役時代はユーゴスラビア代表FWとして1964年東京五輪にも出場し、日本戦で2得点。引退後は指導者に転じ、ユーゴスラビア代表監督として90年W杯イタリア大会では8強に導いた。
日本とのゆかりも深かった。2003年に市原(現千葉)の監督となり、05年にクラブ初タイトルのナビスコ杯(現ルヴァン杯)優勝を達成した。2006年に日本代表監督に就任。07年11月に脳梗塞で倒れて退任した。
示唆に富んだ哲学的な発言は「オシム語録」と称された。「ライオンに襲われた野うさぎが逃げ出すときに肉離れしますか?私は現役の時、一度もしたことはない」「疲れているのはわかるが相手も同じ。走りすぎても死なない」など、独特の言い回しは注目を集めた。複数のポジションをこなす「ポリバレント」や「考えて走る」などの言葉も浸透させた。
元日本代表の阿部勇樹氏や巻誠一郎氏らを育て、「オシムチルドレン」と呼ばれた教え子も多い。その教えは脈々と受け継がれている。