神戸V 「三木谷会長はスーパーヒーロー」 2003年“消滅の危機”で陣頭指揮の元専務・河井正和氏

 シャーレを掲げる神戸・吉田孝行監督(左)と三木谷浩史会長(撮影・山口登)
 阪神・淡路大震災のため、岡山に避難して練習を続けるヴィッセル神戸の選手たち=1995年2月、倉敷市の川鉄広江グラウンド
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 「明治安田生命J1、神戸2-1名古屋」(25日、ノエビアスタジアム神戸)

 神戸が名古屋を2-1で退けて勝ち点68とし、連覇を目指した2位横浜Mに4差をつけ、最終節を残してリーグ初優勝を果たした。

  ◇  ◇

 2003年、経営難により神戸は存続危機に陥った。当時、最前線で神戸の民事再生法申請と譲渡を指揮した河井正和元専務(68)は「J2ならチームを続けていくことは困難。そうなっても借金だけは残る。もう地獄や」と、苦悩し続けた日々を思い起こす。

 当時は債務超過が約16億円、そのうち約15億円が神戸市の貸付金。「どないしていいか答えがない」と河井氏は振り返る。市の財政難は深刻でチームは破綻状態だった。

 「震災直後で市民が心も打ちひしがれて、立ち向かっていきたいけど神戸市の財政では支えきれない。画期的な経営ができる人がいないか」

 救世主として白羽の矢を立てたのが、神戸市出身で楽天グループ会長兼社長の三木谷浩史氏だった。03年春から“身売り”交渉を始め、本拠地、チーム名を変えないなどの条件面で合意。譲渡の大前提だったJ1残留も必死にクリアした。

 「三木谷会長は私にとってのスーパーヒーロー」と河井氏。消滅崖っぷちだった神戸が頂点に立つ日など、20年前は想像さえしなかった。

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