神戸・大迫 「このために日本に戻ってきた」半端ない感激!V呼ぶ2アシスト W杯落選の屈辱晴らし完全復活!MVP最有力
「明治安田生命J1、神戸2-1名古屋」(25日、ノエビアスタジアム神戸)
神戸が名古屋を2-1で退けて勝ち点68とし、連覇を目指した2位横浜Mに4差をつけ、最終節を残してリーグ初優勝を果たした。昨年のW杯カタール大会で、日本代表から落選した神戸のFW大迫勇也(33)が悔しさを晴らすシャーレ(優勝皿)を掲げた。チームの総得点59点のうち、自己最多とクラブタイの22ゴールを挙げ、強じんなフィジカルで進撃をけん引。ここまで全33試合に出場し、“半端ない”ボールキープ力と決定力で君臨し続けた。来季も神戸に残留し、アジア王者奪取を宣言した。
まさに戦術は大迫。神戸の歴史を刻んだ11・25も大迫勇也が別格の存在だった。前半、DF陣を引きつけながら絶妙パスを送り、MF井出、FW武藤の連続ゴールをアシスト。「このために日本に戻ってきたので最高」。満面の笑みで仲間と抱き合い、シャーレを掲げた。
自己最多の22ゴール。2013年、23歳時の19ゴールを10年ぶりに更新した。33歳にして進化を遂げ、絶対エースの使命を果たした。
鹿島で優勝経験はあるものの「鹿島の時よりうれしい」とかみしめる。「若い選手がこうやってトレーニングして積み重ねていけば優勝できると体感できたと思う。そこがこのクラブにとって大きい」と重責を果たした分、喜びも倍増だ。
昨年のW杯カタール大会で、まさかの落選。失意の中、肉体を鍛え直し今季に臨んだ。「(落選を)パワーにできたのが今年の良かったところ。サッカー選手はいいこともあれば悪いこともある。いかにパワーに変えられるかが大事だと改めて思った」と、反骨心で比類なき技能を証明した。
2月9日、必勝祈願の絵馬に「タイトル」と記した。神戸3年目、鹿島で見た王者の景色を自身はもちろん、後輩らに見てほしかった。「若い選手が頑張ったからこそ優勝。そこは来年も引き続きやっていく」、「来季は試合数も多くなるけど、そこはチーム全員で乗り越えていく」。来年も神戸に残留を宣言。アジアチャンピオンズリーグでアジア王者を目指すことを誓った。
仲間に誓った優勝でもあった。MF斉藤未月が8月、左膝に今季絶望の重傷。「未月の分もチーム全員で優勝してあいつに喜んでもらえるように」と、チームを鼓舞した。
鹿児島城西高時代の恩師、小久保悟監督(現鹿児島高監督)は「齢を重ねて引っ張っていく自覚が出てきた」と成長を感じ取った。小学生からストライカーの能力が際立っていた。加えて大迫の比類なきポストプレーは、高校時に伝授した極意。「競り合った時に相手の太ももの付け根を押さえると、相手は足を出せない。大迫はボールと相手の間に体を入れることに優れている」と、技術とフィジカルで君臨した。
高校時は「おとなしい、女の子とも話ができない子でしたね」と監督は笑う。ただ、サッカーは違った。「行動で示すタイプ。遠征に行ったりすると、自分で率先して荷物を持ったり。後輩もそれに続く。大迫のサッカーに対する向き合い方を、今の高校生に伝えている」と今も語り継がれる。高校時から変わらぬチームへの献身で、大迫が神戸を頂点に導いた。
MVPも最有力。落選の屈辱を晴らし、大迫は完全復活した。代表奪回&36歳となる2026年北中米W杯へ「僕はここで結果を残すことが一番。引き続き満足せず進んでいきたい」とギラギラ。“半端ない”男は上だけを目指す。
◆大迫勇也(おおさこ・ゆうや)1990年5月18日、鹿児島県南さつま市出身。鹿児島城西高時代に出場した08-09年の全国高校選手権で1大会最多得点の10ゴールをマークし、準優勝に貢献した。鹿島入りし、ドイツ1部リーグのケルンなどを経て、21年から神戸でプレー。日本代表として14、18年のW杯に出場した。国際Aマッチ57試合出場25得点。184センチ、75キロ。