神戸 悲願初V!オリックス&阪神に続いた 震災乗り越え「トモニイコウ。」29年目 吉田監督「ようやくその日がきた」

 初優勝を決め歓喜の神戸イレブン(撮影・山口登)
 優勝を決め、大迫勇也と抱き合って喜ぶ神戸・吉田孝行監督(右)=撮影・山口登
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 「明治安田生命J1、神戸2-1名古屋」(25日、ノエビアスタジアム神戸)

 神戸が名古屋を2-1で退けて勝ち点68とし、連覇を目指した2位横浜Mに4差をつけ、最終節を残してリーグ初優勝を果たした。チーム始動となるはずだった1995年1月17日、阪神・淡路大震災が発生。「トモニイコウ。」を合言葉に被災者と一歩ずつ復興を歩み29年目、兵庫県出身の吉田孝行監督(46)が地元で悲願に導いた。リーグ優勝は11クラブ目。プロ野球日本一の阪神、パ・リーグ王者オリックスに続き、関西旋風席巻の戴冠となった。

 吉田監督が故郷、港町の空に3度舞った。29年目の歓喜に本拠地ノエスタは感涙。シャーレを掲げ、選手、スタッフ全員がサポーターと応援歌「神戸讃歌」を大合唱した。

 個の強さを前面に、圧倒するのが今季の神戸。快進撃の立役者、大黒柱FW大迫が大一番で圧巻だった。浮き球パスをMF井出に通し前半12分に先制すると、その2分後、FW武藤へ精妙クロスで追加点。終盤は総力戦で耐え抜いた。歓喜の瞬間、MF山口は倒れ込み、DF酒井はほえ、武藤は泣き、大迫は笑った。

 次々と抱き合って監督も喜びを爆発。「頂点に立ったこの景色は最高ですか?」と満員サポーターに向け絶叫した。昨季は残留争いしたチームが王座奪取。「いい意味で期待を裏切った。シーズン前、誰もこの日がくることを予想していなかったと思う」と胸を張った。選手、指導者として14年、苦しい時期が多かった。「ようやくその日がきた」と神戸の夢を実現した。

 ヴィッセル神戸として初練習となるはずだった1995年1月17日、阪神・淡路大震災が発生。6434人が犠牲となり、壊滅した街とともにクラブの歴史は立ち上がった。

 震災時、滝川二高3年だった吉田監督は自宅で「今も忘れない」揺れを経験した。時間が過ぎるにつれ知る被害は「衝撃過ぎた」。18歳は心痛のまま故郷を離れ、横浜フリューゲルスに入団した。

 2008年、神戸に移籍し、13年に万感の引退。指導者の道を歩み始めた15年には発起人としてチャリティーマッチを開催した。「震災を忘れてほしくない」。1・17には自ら編集した震災時の映像を見せて選手にクラブの意義を伝えてきた。

 「命ある限り 神戸を愛したい」-。神戸讃歌は悲しみを乗り越えて復興する魂の歌。吉田監督も「ぐっとくる」と特別だ。最下位に沈んでいた昨季、またもシーズン途中で3回目の監督就任。「正直、したくなかった」と火中の栗を拾うことにためらった。しかし、最後は「神戸愛」で再建を請け負った。

 「恩返しがしたい。全て自分が責任を取るつもりでやる。覚悟を決めて臨んだ」。戦術は前線からのハイプレスに転換。チームは復調し、終盤5連勝でJ1残留を決めた。今季も大迫、武藤、山口、酒井と元日本代表4本柱を前面に攻守にハードワークを徹底。キャンプから「競争と共存」をテーマに掲げた。

 一方、世界的名手で功労者のMFイニエスタは徐々に戦力構想から外れた。起用を望むファンの期待は理解しながら「結局クビになるのは俺」と腹をくくった。「前に監督をやった2回より勝ちにフォーカスした」と、結果で応えていった。

 イニエスタは7月に途中退団。「世間VS俺じゃないですか」と采配批判も耳に入った。ただ「ぶれるとダメ。競争と言っている以上、誰もが納得しないと」。信念でチームを一枚岩にしていった。

 2023年は阪神、オリックス、「そして、神戸」-。関西に吹き荒れた“アレ”旋風を締めた。「来季はアジアチャンピオンズリーグもある。さらに上を目指す」。吉田ヴィッセルが次なる照準をアジア王者に合わせた。

 ◆吉田孝行(よしだ・たかゆき)1977年3月14日、兵庫県川西市出身。滝川二高のとき、U-17世界選手権に中田英寿、宮本恒靖らとともに出場した。95年に横浜Fに入団し、合併に伴い横浜M移籍。2008年に神戸に移籍し、13年に引退した。17、19、22年とシーズン途中から神戸監督に3度就任。21年はJ2長崎を指揮した。家族は夫人と長女。

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