川崎・橘田 高校時代の後悔もあった キャプテンの重圧も大きかった-復調は周りのサポート【手記】
「天皇杯・決勝、川崎0(8PK7)0柏」(9日、国立競技場)
3大会ぶり2度目の天皇杯制覇となった川崎フロンターレ。新たに生まれ変わろうとするチームで、今季からキャプテンに任命されたMF橘田健人(25)がデイリースポーツに手記を寄せた。高校時代に仲間を勝利に導けなかった後悔の念、プロでキャプテンを務める重圧-。チームとともにもがき苦しんだ1年で成長を遂げた背番号「8」が、その思いを語った。
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本当に最高です。みんなで優勝ができて幸せです。頑張ってきて良かったなと。その思いが涙になりました。
キャンプ中に鬼さん(鬼木監督)に部屋へ呼ばれ『キャプテンとして一緒に戦ってほしい』と、全く予想していない言葉で始まった1年。最初は断りました。できないです、自分のことで精いっぱいです。それでも、鬼さんに自分の成長にとっても必要だと、そういう話をしていく中でやろうと決めました。
高校時代の後悔もあったからです。(3年時に)キャプテンとして選手権に出られず、インターハイも勝てず。周りに思ったことも言わないといけない、厳しくしないといけないのに、それが全くできない。その後悔だけが残っていました。
プロでのキャプテンは重圧も大きかったです。プレーもできていたことができない。ボールを奪えたところで奪えない…それが何でなのか分からない。特に今季中盤はベンチに入れない、入っても試合に出られない。でも、あいさつでは先頭に立って…本当につらかった。俺は何をしているんだ。そう思いながら過ごしていました。
復調できたのは周りのサポートのおかげです。鬼さんはずっと気にかけてくれて、話すたびに気持ちが落ち着きました。奥さんは自分のことを一番に考えて、家ではサッカーのことを考えずに過ごせる時間を作ってくれたと思います。娘の存在にも癒やされ、頑張ろうと思わされ、いいタイミングで生まれてきてくれたなって。本当に助けられました。
そこからはサッカーに夢中になることができました。チームの中でも気になることがあれば意見を言い、お互いがやりやすいように思いを伝えられています。その部分は成長を感じますし、優勝して高校時代の後悔も乗り越えられたかなと。
でも、まだまだです。チームには自分よりはるかにうまい選手がたくさんいます。そこを超えないと日本代表もイメージできない。チームで一番うまくなりたい。その目標へチームとともに成長を続けていきます。(川崎フロンターレMF)
◆橘田健人(たちばなだ・けんと)1998年5月25日、鹿児島県霧島市出身。神村学園高から桐蔭横浜大学に進学。大学3年時の20年6月に川崎入りが内定し、21年に入団。同年のゼロックススーパーカップのG大阪戦でプロデビューを果たした。23年からはキャプテンに就任。好きな選手はイニエスタ。169センチ、68キロ。利き足は右。