川崎 天皇杯3大会ぶり2度目V 死闘PK戦GK対決制した 鬼木監督の目に涙「報われた」
「天皇杯・決勝、川崎0(8PK7)0柏」(9日、国立競技場)
川崎が3大会ぶり2度目の頂点に立った。11大会ぶり4度目の優勝を目指した柏と延長を終えて、0-0で突入したPK戦は10人目までもつれ、8-7で制した。来季のアジア・チャンピオンズリーグ・エリート(ACLE)出場権も獲得。優勝クラブには1億5千万円の強化費が付与される。会場には大会決勝史上最多となる6万2837人の大観衆が集まった。
苦難のシーズンを経て得た7個目のタイトル。今までとは違う感慨が体を巡った。「本当に苦しいシーズンだったし、今日のゲームも自分たちらしさを出せなかったが、我慢強く戦って、今のチームを象徴しているように勝ちきった」。鬼木監督は時折声を詰まらせ、目には涙が浮かんだ。
指揮官の言葉通り、苦しい展開を強いられた。前半から柏の猛攻に我慢の時間が続く。前半のシュート数は柏の15本に対して、川崎はわずか2本だった。
開幕から故障者が続出し、勝てない時期が続き、リーグ8位に終わったシーズンが重なる苦しい試合内容。それでもどん底からはい上がり、10月以降を無敗で駆け抜けてきた強さが今の川崎にはある。
PK戦までもつれ込んだ熱戦は、GK鄭成龍が柏の10人目のGK松本を止めて歓喜の瞬間を迎えた。「絶体絶命のところは何回もあったが、そこを乗り越えてくれた。苦しかったけど報われたと思った」。その後にあふれ出た涙の理由を、指揮官はそう語った。
17年からタイトルを取り続けたチームも、昨季は無冠。MF脇坂ら主力は「タイトルを取らないのが当たり前になるのが怖い。ここで取らないとそういうクラブになってしまう」と危機感を口にし、天皇杯は今後のチームを左右する分岐点だった。
「最後は崩れないっていうのが自分たちの強み」と鬼木監督は言う。決してぶれず、技術に裏打ちされた攻撃的サッカーに力を注ぐ。その信念が、川崎に新たな常勝チームの礎となるタイトルをもたらした。
◆川崎フロンターレ 前身は1955年創部の富士通サッカー部。97年に改称し、Jリーグに参入した99年にJ2を制してJ1初昇格。1年で降格したが、再昇格した2005年以降はJ1に定着して17、18、20、21年に優勝した。フロンターレはイタリア語で「正面の」などの意味。最前線で挑戦し、正々堂々と戦う姿勢を示す。本拠地は川崎市等々力陸上競技場。