“不屈の男”激動の一年 横浜M宮市「ピッチに立てる幸せ感じた」 忘れられない6・10決勝弾
今季は惜しくもリーグ2位に終わったJ1横浜M。その中で右膝前十字靱帯(じんたい)断裂の重傷から復活を遂げたFW宮市亮(31)が、21日までにデイリースポーツの取材に応じた。引退もよぎった悪夢からピッチへ復帰を果たすまで-そして幼少期からファンだったプロ野球・阪神への思いなど、“不屈の男”が激動の1年を振り返った。
待望の瞬間は6月10日の柏戦(日産)で訪れた。同点の後半52分だ。ゴール前の混戦から宮市の決勝弾がチームを勝利へ導いた。「こういう景色を待っていた。一生忘れられないゴール」。リハビリ中は無人の日産スタジアムで階段の上り下りを繰り返した。そのスタンドを多くのサポーターが埋める。「その対比が印象的だった」。心が震え、感慨が涙となり頬を伝った。
約1年前は絶望の涙を流した。22年7月27日。日本代表に選出された東アジアE-1選手権の韓国戦で右膝前十字靱帯断裂の重傷を負う。チームの優勝に「雰囲気を崩したくなかった」と明るく振る舞うが、時を経て押し寄せる感情に1人、泣いた。
15年に左膝前十字靱帯断裂、18年は右膝前十字靱帯断裂など幾度も大きな故障を経験し「次に(靱帯を)やったら潔く辞めようと心の中で決めていた」という。翻意させたのは仲間やサポーターの存在だ。
「まだ僕を待ってくれている人がいると知って、もう一度ピッチに立ちたいと思った」
長く苦しいリハビリは「足の可動域や筋力が戻ってこない、痛みが取れないと心が折れそうな時があった」という戦いの日々も、マスカット監督の「乗り越えられる人にしか試練は来ない。絶対にお前ならできる」というメッセージや、実藤や水沼らの言葉に「救われた」と振り返る。
実戦復帰を目指す段階では「勝利を常に求められるチーム。中途半端なプレーはできない」と新たな重圧が襲う。背中を押す力となった一つが、今季の阪神の快進撃だった。
関西出身の祖父と父の影響で幼少期からの虎党だ。「阪神が勝っているとすごくうれしい。僕は佐藤輝選手が大好きなんで、彼がホームランを打った時はうれしいし、何か頑張ろうって思いますよね」と笑顔で語った。
喜びと悔しさが入り交じる今季にも、宮市は「またサッカー選手としてピッチに立てる幸せを感じた1年。支えてくれた方々に恩返しをできるように頑張りたい」と前を向く。不屈の背番号「23」。視線は、新たな戦いの1年を見据えている。
◆宮市 亮(みやいち・りょう)1992年12月14日、名古屋市出身。中京大中京高を卒業後にイングランド・プレミアリーグのアーセナルに加入。オランダ1部フェイエノールトなどへの期限付き移籍を経て、15年にドイツ2部ザンクトパウリに移籍。21年7月に横浜Mへ加入した。日本代表には12年の国際親善試合・アゼルバイジャン戦で初出場。その後は度重なる故障で遠ざかったが22年の東アジアE-1選手権で10年ぶりに代表復帰。181センチ、77キロ。利き足は右。