日本協会がベッケンバウアー氏追悼談話発表「カイザー(皇帝)のニックネーム通り、いつも紳士的で優しかった」と川淵相談役
日本サッカー協会(JFA)は9日、元西ドイツ代表選手、監督で7日に78歳で死去したフランツ・ベッケンバウアー氏を追悼する談話を発表した。
小倉純二相談役「ベッケンバウアー氏の訃報に接しショックを受けている。2002年のワールドカップ招致では、ペレ氏とSirボビー・チャールトン氏と日本の良さをアピールしてくださるなど、大変お世話になった。FIFA理事として共に世界のサッカーに携わったことを光栄に思っている。日本にも度々来られ、親しく話をさせていただいたが、勉強になる話が多く、日本サッカーの発展に役立った。尊敬する人が亡くなったことは本当に残念。心から哀悼の意を表します」
川淵三郎相談役「Sirボビー・チャールトン氏に続き、偉大なる名選手が亡くなったのは寂しい限りだ。『カイザー(皇帝)』のニックネームが示す通り、いつも紳士的で優しかった。印象に残っているのは、2002年のFIFAワールドカップの招致活動をしていた1995年、ヨーロッパの動きを探るためにFIFAやクラマーさんら伝手を頼ってベッケンバウアー氏との面会の機会を得た。その席で韓国との共催を仄めかされショックを受けたのだが、次にイングランドサッカー協会の会長にも同様のことを言われ、それで初めて共催もあり得ると思った。
次に思い出深いのが、2006年のFIFAワールドカップで渡独し彼とゴルフをご一緒したとき。彼も結構な腕前だったが、前半に僕がパーで回って彼を驚かせた。後半は猛暑の影響でスコアも体調もボロボロ。ホテルに戻ってベッケンバウアー夫妻と食事をすることになったのだが、熱中症のような状態でシャンパンを飲み、目の前が真っ暗に。招待された手前、席を外すわけにはいかないと思い、耐えに耐えて食事をした思い出がある。
西ドイツが優勝した1974年のワールドカップも現地で見ている。あれほどのスターとお付き合いできたことは、今思えば夢のようだ。ベッケンバウアーさん、安らかにお眠りください」
田嶋幸三会長「ペレ(ブラジル)、ディエゴ・マラドーナ(アルゼンチン)、ヨハン・クライフ(オランダ)、Sirボビー・チャールトン(イングランド)と、サッカー界の偉大なるスター選手が去ってしまった。1974年、私が高校生のときに『ダイヤモンド・サッカー』で見た彼の冷静沈着なプレーとライバル・クライフとのし烈な対決が目に焼き付いている。長年、憧れ続けていた往年の名選手がいなくなったことが残念でならない。本当に星になってしまった。
1992年に1年間、ドイツのバイエルン・ミュンヘンで研修をした際にはベッケンバウアー氏とゲルト・ミュラー氏に大変お世話になった。FIFA(国際サッカー連盟)の理事を務められているときも一緒に会議に出て、親しく食事をさせていただく機会にも恵まれた。ベッケンバウアー氏の経歴や功績を私が説明するまでもないが、選手として、監督として、FIFA理事として、世界のサッカーの発展に多大なる貢献をされた。
ベッケンバウアーさんが安らかな眠りにつかれますよう、心よりお祈りします」