宮本恒靖専務理事が引退の遠藤にねぎらい「たくさん助けてもらった。指導者としての彼の活躍が楽しみ」日本協会が談話発表
元日本代表MFで9日に現役引退を発表した遠藤保仁について、日本サッカー協会の宮本恒靖専務理事と田嶋幸三会長が談話を発表した。
宮本恒靖専務理事「遠藤保仁選手と初めてプレーしたのは、2000年のシドニーオリンピックを目指すU-22日本代表に選ばれたときで、彼は19歳でした。その2年後に彼がガンバ大阪に移籍してきて、再び一緒にプレーすることになりました。僕がセンターバック、彼はボランチという関係性で、いつも安心してボールを預けることができました。きれいなミドルシュートからのゴールも見てきました。セットプレーの際に放たれる彼のキックは誰よりも易しく合わせやすく、そのボールの軌道は今も目に焼き付いています。
どんな監督にも合わせられるクレバーな選手で、何がベストかを常に考え、監督が求めることを実行できる選手でした。戦術眼の高さもさることながら、けがをしない身体の強さとコンディショニングに対する高い意識が、J1リーグ通算672試合、国際Aマッチ通算152試合出場という歴代最多出場を達成した要因だと思います。
監督、選手として一緒に活動できたこともいい思い出です。たくさん、助けてもらいました。指導者としての彼の活躍を楽しみにしています」
田嶋幸三会長「25年間にわたるJリーグでのプレー、お疲れさまでした。そして、長年にわたり、日本代表チームをけん引してくれたことにあらためて敬意と感謝を表します。
遠藤選手のプレーを初めて見たのは、彼が鹿児島実業高校在学中のとき。当時は4歳上の次兄・彰弘選手が注目されていたときで、“その弟”というくらいの印象でした。
1998年以降、U-20日本代表、U-23日本代表に選ばれるなど目覚ましい成長をみせていたが、彼が日本代表として頭角を現したのは2001年にガンバ大阪に移籍してからだと思います。冷静な判断と高い技術を有し、代表に選ばれて当然という成長ぶりで、選ばれたときは本当にうれしかった。2008年に病気で1カ月以上の離脱を余儀なくされたときは、心配で何度も大阪に足を運びました。
現在は、JFA公認指導者ライセンスを受講していると聞いています。これからもその経験と実績を日本サッカーの発展に生かしてほしい。応援しています」