なでしこJ 20年前にもあった北朝鮮との激闘 低迷女子サッカーを救った運命の一戦「次の五輪へ行けなければ」 澤氏&荒川氏
「女子パリ五輪アジア最終予選、日本代表2-1北朝鮮代表」(28日、国立競技場)
2大会連続6度目の五輪出場を目指す日本代表「なでしこジャパン」は、2-1で北朝鮮に勝利。サウジアラビアでの第1戦との2戦合計スコアで上回り、パリ五輪出場を決めた。実は20年前にも、女子サッカーの今後の命運を握る北朝鮮代表との戦いがあった。04年4月24日のアテネ五輪アジア予選の北朝鮮戦。「なでしこジャパン」命名のきっかけとなる五輪出場を決めた激闘の記憶を、元なでしこジャパンの澤穂希氏(45)と、決勝点を挙げたFW荒川恵理子(44)=ちふれASエルフィン埼玉=が振り返った。
「次の五輪へ行けなければ、女子サッカー自体がどうなるか分からない状況だと認識していて。今までに味わったことのない緊張感というかプレッシャーというか…」。荒川は当時の状況を、そう振り返った。
当時の女子リーグ(Lリーグ)は、代表が00年のシドニー五輪出場を逃したことに加えて、景気悪化の影響で企業撤退などによるチーム解散と縮小の一途をたどった。00年からは移動の経費を削減するために、東西に分けたシステムも導入されていた。
再び五輪を逃せば女子サッカーが終わる-。そうした状態で迎えた北朝鮮戦。だが、北朝鮮戦は10年以上にわたり白星なし。そして主力の澤は右膝半月板損傷の重傷を負っていた。「痛み止めの注射とか飲み薬で、足の感覚がまひするぐらいだった。でも、自分の足がどうなろうと絶対に勝たなくちゃいけない。五輪の出場権を取らなきゃいけないという強い思いがあった」と澤は話す。
「何もできなくていいからピッチにいてほしい」という仲間の思いにも奮い立ち、澤は強行出場を決意。そして伝説のプレーが生まれる。3万1324人が集まった聖地・国立。開始直後に澤はボールを持つ相手に体をぶつけて倒し、ノーファウルでボールを奪う。「あそこで絶対にボールを取ってやるという思いで臨んだ」というプレーが日本に流れを呼んだ。
前半10分に荒川のゴールで先制し、終わってみれば3-0で勝利。アテネ五輪出場を決め、大会後は「すごい注目してもらって」と、荒川はスーパーのレジ打ちから社員登用されるなど環境も変化。「死ぬ時に走馬灯でよみがえる試合」と笑う。
五輪直前には愛称が「なでしこジャパン」に。そして11年にW杯優勝、翌年のロンドン五輪銀メダルへとつながる。「04年が長い女子サッカーの歴史で、一番のターニングポイント」と澤は言う。20年前に歴史の扉を開くべく乗り越えた相手もまた、北朝鮮だった。