恩師・松本育夫氏が語る森保監督の人間力 シンがあり粘り強く物事を熟慮した選手時代 “最強日本”構築の要因も分析
「W杯アジア最終予選、日本代表2-0バーレーン代表」(20日、埼玉スタジアム)
森保一監督(56)が日本代表監督として初めて、2大会連続のW杯本戦に挑むことが決まった。個性の強い選手たちを見事にまとめあげ、圧倒的な成績で最終予選を突破。その統率力を選手時代から見抜いていたのが、68年メキシコ五輪銅メダリストの松本育夫氏(83)だ。森保監督が京都でプレーしていた当時のゼネラルマネジャー(GM)。師弟関係だった当時の印象から、“史上最強”の日本代表を作り上げた要因を分析。本戦に向けてエールを送った。
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松本氏が広島の選手だった森保を獲得したのは、1998年シーズンのことだ。元日本代表監督で同年から京都を率いたオフト監督が、代表選手7人の獲得指令を出した。そのうちの1人が、93年のW杯米国大会予選で「ドーハの悲劇」を共に経験した森保だったという。松本氏は「オフトが森保の人間性を信頼していましたから。うまくはないですよ。チームとして必要な粘り強い選手で、ほしいということでした」と述懐した。
初交渉の席では「オフトがどうしても来てくれって言ってるから。やってくれ」と直球で誘ったという。言葉を受け、森保は前身のマツダを含めて10年以上所属した広島からの移籍を決断した。初年度から1年間、主将としてプレー。当時の印象について、松本氏はこう語る。
「九州男児というか(森保は長崎県出身)。シンが強いですよね。彼の性格は粘り強い。性格的には後ろで支える。表に出るのがそんな好きなタイプの人間じゃないですね。ただし、物事は熟慮しますよ。よくよく考えることはやっていたでしょうね」
翌年、森保は広島に戻り、松本氏も99年にGMを退任。その後は交流がしばらくなかったが、日本代表監督となってからはメールのやりとりをしたり、年に2回ほど食事をしたりする関係性という。メールでは「おめでとう」など、勝利を祝福する簡単な連絡が基本。だが、4位に終わった東京五輪の後、一度だけ「なんで三笘(薫)をスタメンで出さないの」と注文を付けたこともあった。その上で「今は(采配で)違和感が一つもない」と、指揮官としての成長ぶりに目を細める。
特に絶賛したのが森保監督の「統率力」だ。以前より海外でプレーする代表選手が増え、一人一人の個性に強さが出た。「自己主張する個の強い選手たちをどうまとめるか」。選手の質が高くなってきたからこそ生まれる課題だ。松本氏もメキシコ五輪で強烈な個性の同僚を目の当たりにした経験がある。当時、釜本邦茂氏が早大の先輩で10歳以上も年上の八重樫茂生氏に「ガマッチョ(釜本氏)、守備をしないか!」と言われ「先輩、点を入れればいいでしょう」と返したやりとりには、目を丸くしたという。
個性の強い選手の集団は、一歩間違えれば組織として崩壊する。そんな中、松本氏は森保監督が最終予選で、海外や代表の経験が豊富なDF長友を招集し、長谷部コーチを招聘(しょうへい)したことに統率者としての能力の高さを感じたと語る。「ベテラン、スタッフを整えたチーム作り。個性が強くなった選手たちをまとめて、結果を出すという統率力。これが一番のポイント。指揮者、本来のリーダー・森保が今、できつつある」と力を込めた。
森保監督は“史上最強”の日本代表を作り上げ、W杯で優勝を目標に掲げている。ただ、松本氏は「あまりそこまで言わない方が…。最高のベスト8進出くらいにした方が良いと思うんだけど」と苦笑い。その上で「2002年に韓国が(アジア最高の)ベスト4になったんだよね。だから日本もそこまでは行きたいと…言うぐらいにしておけばいいんじゃないかな」と柔和な笑みを浮かべ、エールを送った。