18歳かわい過ぎるレフティー仲田歩夢
スタジアムに行けばこんなカワイイ子に会える!ピッチを駆け回る彼女を見れば、魅力はさらに膨らむ。高校女子サッカー界の名門・常盤木学園(宮城)から今春、INAC神戸に入団したMF仲田歩夢(18)はU‐20(20歳以下)の日本代表。準優勝した10年のU‐17W杯で主軸を務めた美少女が今夏、日本で開催されるU‐20W杯で世界一を目指す。美貌でも注目を集めるリトルなでしこだが「わたしはサッカー選手」ときっぱり。サッカーファンも、そうでない方も、刺激的なギャップを放つ「あゆ」のとりこになって欲しい。
▼U‐17W杯準優勝
AKB48選抜総選挙に立候補する新鋭…ではない。いわば、次代のなでしこを担う原石。女子サッカーに疎いオジさんたちにカノジョの武勇伝を紹介すると、こうだ。
仲田歩夢は沢穂希に勝ったことがある!
仲田「あの試合は捨て身でした。失うものはなかったので、思い切ってぶつかろうと…」
10年12月19日。全日本選手権3回戦で常盤木学園は同年のなでしこリーグ覇者日テレベレーザを延長PK戦の末に撃破した。2時間31分33秒の激闘。左足でPKを決めた当時17歳の仲田は仙台の地元メディアから「かわい過ぎるレフティー」と騒がれた。快晴の宮城スタジアムに集まった観客は568人。なでしこフィーバー前で全国ニュースもこの快挙を派手に扱わなかったが、日テレの先発には沢、大野、近賀、岩清水、岩淵ら翌11年のW杯優勝メンバーがずらり。最多4度の全国制覇を誇る名門校もガチンコ勝負ならかなう相手ではない、はずだった。
尊敬する人物を問われれば、迷わず「阿部由晴先生」と答える。常盤木学園からなでしこジャパンに多くの教え子を送りこむ名将だ。めったに喜怒哀楽を表に出さない阿部監督が日テレ戦の前だけは「歴史を変えろ!」と熱くなり、金星を挙げたイレブンを周囲が驚くほどたたえたという。仲田が「内容はともかく、高校3年間で一番の思い出」と振り返る世紀の番狂わせ。沢率いるスター軍団に勝った勲章は永遠に色あせることはない。
▼後輩から呼び捨て
「あゆ!」。高校時代、仲田は後輩から呼び捨てにされていた。イジられキャラが理由ではない。「先輩にもタメ語」が常盤木サッカー部のルール。体育会系と言えば縦社会が常識だが…。3月1日の卒業式。雪の残る仙台市内の校庭で仲田は目を潤ませ、仲間との別れを惜しんだ。最後のセーラー服姿。地元紙のフラッシュを一身に浴び、下級生から「あゆ、かわいい~」とフランクな歓声が飛んでいた。「みんな、タメ語ですよ」。仲田は笑顔で手を振った。無駄な上下関係はつくらない。これが「先生の教え」だという。
阿部監督「ピッチにいる全員が『あゆ!』『パス!』『来い!』『行け!』でいいと教えた。試合で『あゆ先輩!』と声を出せば、センパイと言う分、プレーが遅れる。これは普段からやらないとできないんだよね。先輩が後輩に尽くせば、下級生は考えるようになる。要領のいい子は他人任せにするけど、そういう子は大したレベルの選手にならない」
▼名将「アベの考え」
なでしこジャパン不動のDF鮫島彩(モンペリエ)、ドイツW杯決勝戦で世界一を決めるPKキッカーを務めたDF熊谷紗希(フランクフルト)も常盤木学園時代は下級生から「あや!」「さき!」と呼ばれ、成長を遂げた。「アベの考え」が世界基準のなでしこを生むとすれば“下上関係”の意義を体得した「あゆ」も有資格者の1人だ。
▼山梨から単身仙台
地元山梨でサッカー指導に携わる父・哲也さん(49)の影響で、6歳からボールを蹴り始めた。小学5年のとき、山梨出身の中田英寿氏がサポートする県下最強のクラブ「フォルトゥナSC」に入団。女子部で頭角を現し、中学時代にU‐15(15歳以下)の日本代表に選出された。常盤木学園からサッカー留学の誘いが届くと「自信がなくて、かなり迷った」末に一大決心で親元を離れ、仙台へ。名門で礎を築き、各世代の日本代表で活躍。トリニダード・トバゴで開催されたU‐17W杯では、主力として世界2位に貢献した。
▼AKBまゆゆ好き
サッカーを離れれば「まゆゆ」ことAKB48の渡辺麻友が大好きな18歳だ。今春、共にINAC神戸に入団したFW京川舞(18)は寮で同部屋だった高校時代の仲田の素顔をどう見ていたのか。
京川「第一印象は、今どきの子だな…って。でも、顔に似合わないドリブルにはギャップを感じたし、そこまでやるんだ!そういうプレースタイルなんだ!って思って見てましたね」
幼少期から両親が共働きで自他共に認める「おじいちゃん、おばあちゃんっ子」。取材中、何度も「大丈夫ですか?」と気遣う受け答えには、いい意味でイメージを覆された。内面からにじみ出る優しさの裏側には祖父母譲りの穏やかな気質があるのか。初対面の相手からいつも「ちょっと怖い」と警戒され、本人は「最初は自分から行けないタイプ」と人見知りの悩みも…。強気のドリブラーには見た目で測れない「か弱さ」が潜む。
仲田「自分のプレーは地味で抜きんでるものがない。取材でどういうプレーが得意?と聞かれても『う~ん』と考えてしまう。(京川)舞からは『もっと仕掛けないと!』とよく怒られる。自信を持てるタイプではないし、気持ちも弱い」
高校3年の夏、京川と2人でINAC神戸の練習に招かれた。仲田のポテンシャルを高く評価した星川敬監督(35)は「ドリブルだけでも上(なでしこリーグ)で通じる」と確信。昨季、チームを2冠に導いた指揮官は迷いなく、獲得に動いた。
▼夢に向かって歩む
高校卒業を間近に控えた今年2月、最愛の祖母辰江さんが83歳で他界した。「夢は世界の舞台で活躍すること。家族に恩返しをしたい」。今夏、日本で開催されるU‐20W杯で輝きを放てるか。「歩夢」の由来は父が教えてくれた。「夢に向かって歩んでいって欲しい」。天国に悲願を報告する日まで、仲田は歩みを止めない。
◇ ◇
仲田歩夢(なかだ・あゆ)
◆誕生 1993年8月15日、山梨市生まれ
◆サイズ 161センチ、55キロ
◆血液型 A
◆利き足 左
◆足のサイズ 24・5センチ
◆好きなサッカー選手 内田篤人
◆愛読書 ViVi
◆好きなブランド 「こだわらない」
◆好きなアーティスト 元JUDY AND MARYのYUKI。絢香。AKB48の渡辺麻友
◆ニックネーム あゆ
◆50メートル走 7秒02
◆経歴 6歳でサッカーを始め、山梨の名門フォルトゥナSCに入団。09年に仙台市の常盤木学園高へサッカー留学し、09、11年の2度、全国高校女子選手権で優勝(10年は準優勝)。チャレンジリーグEAST(なでしこリーグ2部)でも10、11年に連覇を経験した。年代別の日本代表にも選ばれ、10年のU‐17女子W杯で主力として日本の準優勝に貢献。12年に京川舞、田中陽子とINAC神戸に入団。背番号13。MF。
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▼U‐17W杯準優勝
AKB48選抜総選挙に立候補する新鋭…ではない。いわば、次代のなでしこを担う原石。女子サッカーに疎いオジさんたちにカノジョの武勇伝を紹介すると、こうだ。
仲田歩夢は沢穂希に勝ったことがある!
仲田「あの試合は捨て身でした。失うものはなかったので、思い切ってぶつかろうと…」
10年12月19日。全日本選手権3回戦で常盤木学園は同年のなでしこリーグ覇者日テレベレーザを延長PK戦の末に撃破した。2時間31分33秒の激闘。左足でPKを決めた当時17歳の仲田は仙台の地元メディアから「かわい過ぎるレフティー」と騒がれた。快晴の宮城スタジアムに集まった観客は568人。なでしこフィーバー前で全国ニュースもこの快挙を派手に扱わなかったが、日テレの先発には沢、大野、近賀、岩清水、岩淵ら翌11年のW杯優勝メンバーがずらり。最多4度の全国制覇を誇る名門校もガチンコ勝負ならかなう相手ではない、はずだった。
尊敬する人物を問われれば、迷わず「阿部由晴先生」と答える。常盤木学園からなでしこジャパンに多くの教え子を送りこむ名将だ。めったに喜怒哀楽を表に出さない阿部監督が日テレ戦の前だけは「歴史を変えろ!」と熱くなり、金星を挙げたイレブンを周囲が驚くほどたたえたという。仲田が「内容はともかく、高校3年間で一番の思い出」と振り返る世紀の番狂わせ。沢率いるスター軍団に勝った勲章は永遠に色あせることはない。
▼後輩から呼び捨て
「あゆ!」。高校時代、仲田は後輩から呼び捨てにされていた。イジられキャラが理由ではない。「先輩にもタメ語」が常盤木サッカー部のルール。体育会系と言えば縦社会が常識だが…。3月1日の卒業式。雪の残る仙台市内の校庭で仲田は目を潤ませ、仲間との別れを惜しんだ。最後のセーラー服姿。地元紙のフラッシュを一身に浴び、下級生から「あゆ、かわいい~」とフランクな歓声が飛んでいた。「みんな、タメ語ですよ」。仲田は笑顔で手を振った。無駄な上下関係はつくらない。これが「先生の教え」だという。
阿部監督「ピッチにいる全員が『あゆ!』『パス!』『来い!』『行け!』でいいと教えた。試合で『あゆ先輩!』と声を出せば、センパイと言う分、プレーが遅れる。これは普段からやらないとできないんだよね。先輩が後輩に尽くせば、下級生は考えるようになる。要領のいい子は他人任せにするけど、そういう子は大したレベルの選手にならない」
▼名将「アベの考え」
なでしこジャパン不動のDF鮫島彩(モンペリエ)、ドイツW杯決勝戦で世界一を決めるPKキッカーを務めたDF熊谷紗希(フランクフルト)も常盤木学園時代は下級生から「あや!」「さき!」と呼ばれ、成長を遂げた。「アベの考え」が世界基準のなでしこを生むとすれば“下上関係”の意義を体得した「あゆ」も有資格者の1人だ。
▼山梨から単身仙台
地元山梨でサッカー指導に携わる父・哲也さん(49)の影響で、6歳からボールを蹴り始めた。小学5年のとき、山梨出身の中田英寿氏がサポートする県下最強のクラブ「フォルトゥナSC」に入団。女子部で頭角を現し、中学時代にU‐15(15歳以下)の日本代表に選出された。常盤木学園からサッカー留学の誘いが届くと「自信がなくて、かなり迷った」末に一大決心で親元を離れ、仙台へ。名門で礎を築き、各世代の日本代表で活躍。トリニダード・トバゴで開催されたU‐17W杯では、主力として世界2位に貢献した。
▼AKBまゆゆ好き
サッカーを離れれば「まゆゆ」ことAKB48の渡辺麻友が大好きな18歳だ。今春、共にINAC神戸に入団したFW京川舞(18)は寮で同部屋だった高校時代の仲田の素顔をどう見ていたのか。
京川「第一印象は、今どきの子だな…って。でも、顔に似合わないドリブルにはギャップを感じたし、そこまでやるんだ!そういうプレースタイルなんだ!って思って見てましたね」
幼少期から両親が共働きで自他共に認める「おじいちゃん、おばあちゃんっ子」。取材中、何度も「大丈夫ですか?」と気遣う受け答えには、いい意味でイメージを覆された。内面からにじみ出る優しさの裏側には祖父母譲りの穏やかな気質があるのか。初対面の相手からいつも「ちょっと怖い」と警戒され、本人は「最初は自分から行けないタイプ」と人見知りの悩みも…。強気のドリブラーには見た目で測れない「か弱さ」が潜む。
仲田「自分のプレーは地味で抜きんでるものがない。取材でどういうプレーが得意?と聞かれても『う~ん』と考えてしまう。(京川)舞からは『もっと仕掛けないと!』とよく怒られる。自信を持てるタイプではないし、気持ちも弱い」
高校3年の夏、京川と2人でINAC神戸の練習に招かれた。仲田のポテンシャルを高く評価した星川敬監督(35)は「ドリブルだけでも上(なでしこリーグ)で通じる」と確信。昨季、チームを2冠に導いた指揮官は迷いなく、獲得に動いた。
▼夢に向かって歩む
高校卒業を間近に控えた今年2月、最愛の祖母辰江さんが83歳で他界した。「夢は世界の舞台で活躍すること。家族に恩返しをしたい」。今夏、日本で開催されるU‐20W杯で輝きを放てるか。「歩夢」の由来は父が教えてくれた。「夢に向かって歩んでいって欲しい」。天国に悲願を報告する日まで、仲田は歩みを止めない。
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仲田歩夢(なかだ・あゆ)
◆誕生 1993年8月15日、山梨市生まれ
◆サイズ 161センチ、55キロ
◆血液型 A
◆利き足 左
◆足のサイズ 24・5センチ
◆好きなサッカー選手 内田篤人
◆愛読書 ViVi
◆好きなブランド 「こだわらない」
◆好きなアーティスト 元JUDY AND MARYのYUKI。絢香。AKB48の渡辺麻友
◆ニックネーム あゆ
◆50メートル走 7秒02
◆経歴 6歳でサッカーを始め、山梨の名門フォルトゥナSCに入団。09年に仙台市の常盤木学園高へサッカー留学し、09、11年の2度、全国高校女子選手権で優勝(10年は準優勝)。チャレンジリーグEAST(なでしこリーグ2部)でも10、11年に連覇を経験した。年代別の日本代表にも選ばれ、10年のU‐17女子W杯で主力として日本の準優勝に貢献。12年に京川舞、田中陽子とINAC神戸に入団。背番号13。MF。