【香川の挑戦2】C大阪の寮での逸話
日本のエースとして、そしてマンチェスター・ユナイテッドの新星として世界を股にかけて活躍する香川真司(24)が初のW杯に挑む。無名だった中学・高校時代から、J2でのブレークを経て、いかにトッププレーヤーに駆け上がっていったのか。挑戦の軌跡を追った。
順風満帆なサッカー人生を送ってきたように見える香川にも、挫折はたびたび訪れた。今では想像もつかないが、中学・高校時代の香川は日の丸と縁がなく、年代別W杯も2007年U‐20W杯まで出場がなかった。高校入学後、C大阪の練習に参加していたころから、「世代別の代表にまず入りたい。早く日の丸をつけたい」と公言するほど、日の丸に飢えていた。
香川の才能を見いだした当時の小菊昭雄スカウト(現コーチ)は「『早く日の丸をつけて将来W杯に出たい』というのはよく言っていました」と振り返る。だが、日の丸はおろかC大阪での試合出場もおぼつかない。06年は公式戦の出場はなし。2年目の07年は紅白戦から外されることもあった。
辛酸をなめる日々でも、自分を見つめ直した。「筋トレやフィジカルトレを、嫌な顔一つせず積極的にやっていました。あとはボールの置き方、もらう前の準備やファーストタッチなどの工夫を重ねた結果です」(小菊氏)。寮の部屋でインタビューの練習をしていたという逸話もある。成功をイメージし続け、ついには実現させてしまう執念で成長した。
10年5月15日、C大阪での最後の試合となった神戸戦で、香川は決勝点となる約20メートルの直接FKを決めた。試合後は「仲間とサポーターがパワーをくれた。泣いてはない。でも泣きそうになった」と潤んだ瞳をぬぐった。乗り越えてきた苦難が胸にこみ上げていたのかもしれない。