【香川の挑戦3】恩師との約束の地へ
日本のエースとして、そしてマンチェスター・ユナイテッドの新星として世界を股にかけて活躍する香川真司(24)が初のW杯に挑む。無名だった中学・高校時代から、J2でのブレークを経て、いかにトッププレーヤーに駆け上がっていったのか。挑戦の軌跡を追った。
C大阪のレビー・クルピ監督は、香川と一つの約束を交わした。
「2014年のW杯、ブラジルで必ず会おう」
不遇の日々を送っていた香川の人生を一変させたブラジル出身の名伯楽。プロ2年目の07年5月、10年ぶりにC大阪の監督に復帰すると、ボランチで起用されていた香川を攻撃的MFに転向させた。
「運動量が多く、足が止まらない選手だった。ただ、ボランチとしては小さすぎた。ゴールに近い位置でプレーした方がより生きる」
香川は当初、難色を示していた。だが、指揮官が諭した。「ベテランになればボランチに戻ればいい。今は前線にチャレンジしなさい。それが明るい未来につながるんだ」。ポジション変更を受け入れた香川には、文字通りの“明るい未来”が待っていた。08年にA代表初選出を果たすと、その勢いのまま世界へ飛び出し、頂点への階段を一気に駆け上がった。
「夢」と「数字」が成功をもたらした。香川の印象を「常に夢を抱き、努力を続けた選手だった」とクルピ監督は振り返る。「数字」とはゴールの数。「数字を残すことで選手としての道が開ける」。恩師の言葉を守り、香川は欧州の地でも「夢」と「数字」を追い続けた。
「正しい道を歩んでいることは間違いない。自分の夢に向かって全てを捧げてほしい」。クルピ監督は微笑みながら話を続けた。「それができればきっと、ブラジルで会うことができる」‐。