宇佐美サッカーだけは「本当に真面目」
11日に行われたサッカーの国際親善試合・イラク戦で日本代表初先発を果たし、チームの3点目をアシストしたFW宇佐美貴史(23)=G大阪。3月27日の国際親善試合・チュニジア戦で代表デビューを果たし、同31日の国際親善試合・ウズベキスタン戦でゴールを決めるなど、ハリルジャパンでの存在感は増すばかりだ。16日の18年W杯ロシア大会アジア2次予選初戦のシンガポール戦(埼玉)を前に、宇佐美が初めてサッカーに触れた京都の長岡京サッカー少年団(長岡京SS)の大伴雅章団長(61)と、当時指導した小嶋重毅コーチ(54)からルーツをたどった。
大伴団長は、スタッフらと杯を交わしながらウズベキスタン戦をテレビ観戦した。ドリブル突破から決めた宇佐美の鮮やかな代表初ゴールに、思わず叫んでいた。
長岡京SSの指導の基本は1対1。元日本代表MF家長昭博(大宮)らを輩出し、現在は約120人の団員を抱える。地域のお父さんたちがボランティアで指導する、いわゆる普通の少年団だ。
練習は個人技が中心。毎年正月に行われる初蹴りに、宇佐美は「自分の原点はここやから」と、今でも欠かさず参加する。ドイツ在籍時代、元日の午前中しか時間がない時もグラウンドへ駆けつけ、フライトの時間ギリギリまで子供たちとボールを蹴った。ここに日本代表のエースを狙う宇佐美のルーツがある。
初めてサッカーに触れたのは年長の時。小学6年生の兄にくっついてグラウンドにやってきては、一緒にボールを蹴った。兄の指導をしていた関係で、年長のころから宇佐美を見守り続ける小嶋コーチは「初めて見た時から、蹴り方が違った。年長の時から腰が入った小学校高学年の蹴り方だった」と振り返る。
兄が卒団し、宇佐美が1年生になった時、小嶋コーチは4年生の担当。同じ1年生の中では力がずばぬけていたため、小嶋コーチが指導する4年生チームに週2日加わった。
「当時の技術は、京都で上位に入る4年生チームの中でも、真ん中のクラスにいたのでは?」
小学1年生にして“飛び級”を経験したが、サッカーに関しては「本当に真面目」だった。4年生の時、チームメートが自分のミスで点を取られ、泣き出したことがあった。歩み寄った宇佐美は言い放った。
「泣いてる場合と違うやろ!!泣くぐらいやったらがんばれよ」
6年生で主将に抜てきされた。一番練習熱心で、一番よく声を出して、一番よく動いて、最後まで手を抜かない優等生。真夏の炎天下、10-0で勝っていても、11点目を取りに行くような選手だった。合宿に行くと張り切りすぎて、夜に熱を出したことも一度や二度ではなかった。
天才の呼び声も高いが、コーチからは「お前は天才ちゃうんやぞ!!」と言われながら育った。一方、6つ上の家長は、何でもできる「スポーツの天才」だった。野球をやらせると、プロ野球選手になれるのでは?と思うようなボールを投げ、水泳をやらせれば、1カ月でクラブ記録を塗り替えて選手コースに引き抜き…。「貴史は、当時はうまく泳げなかった。野球もあまり上手じゃなかった。だから、そういう意味では天才じゃない」(小嶋コーチ)。
宇佐美は今でも水泳だけは苦手だ。「足がつかへんところに行ったら、たぶん僕、死にますよ」と笑う。
いよいよW杯へと続く道を歩み出す。あのころから「日本代表に入りたい」ではなく「W杯に出たい」と言い続けてきた。「自分の持ち味、色を出して、チームに溶け込めたら」。宇佐美色が加わったサムライブルーは、きっと新たな輝きを放つ。