安らかにオシム監督 サッカー界の哲学者

 元サッカー日本代表監督のイビチャ・オシム氏が死去した。日本サッカー界に多大な貢献を果たしたオシム監督。その功績を振り返ります。

公開日:2022.5.3

 07年11月16日、オシム監督は千葉県内の自宅で急性脳梗塞(こうそく)で倒れ入院。一命を取り留めたものの、代表の指揮をとることが困難になり、退任した。

サッカー ウィットに富んだオシム語録「走りすぎても死なない」

「ライオンに襲われた野うさぎが肉離れをしますか?」 有名なオシム語録

 「あなたは息子さんを最後まであきらめずに走る子供に育てましたか?もしそうでなければ期待をしない方がいいでしょう。もしそうなら、私が責任を持って育てます」(03年2月、新加入選手懇親会で両親に)

サッカー ウィットに富んだオシム語録「走りすぎても死なない」

 「ライオンに襲われた野うさぎが逃げ出すときに肉離れしますか?私は現役のとき一度もしたことはない」(03年4月、故障者が続出し)

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 「ウチは勝ったり負けたりしているチームだが、その中で心臓が持つかどうかわからない。ヨーロッパで死ぬか日本で死ぬか、まだ決めていない」(04年11月、翌年の自らの去就に触れ)

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 「疲れているのはわかるが相手も同じ。走りすぎても死なない」(05年4月、広島戦で)

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 「PK戦を見なかった?心臓に悪いですから。私は日本では死にたくない。死ぬなら故郷のサラエボで死にたい。見ていると勝てないというジンクスもあるんです」(07年7月、アジア杯準々決勝のオーストラリア戦をPK戦で勝利して)

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 イビチャ・オシム 1941年5月6日、旧ユーゴスラビア(現ボスニア・ヘルツェゴビナ)・サラエボ出身。同国代表FWとして64年東京五輪に出場。78年に現役引退し、86年に同国代表監督に就任。90年イタリアW杯で8強入りしたが、母国が内戦で分裂する中、92年に辞任。94年から02年までオーストリア1部、シュトゥルム・グラーツの監督を務め、03年からJ1市原(現千葉)監督となった。06年7月に日本代表監督に就任。07年11月に脳梗塞で倒れて退任。示唆に富んだ哲学的な発言は〝オシム語録〟と称され話題を呼んだ。

 日本に確かなサッカー文化を根付かせたオシム監督。多くの選手、ファンにも影響を与えました。ありがとうございました。

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