西野JAPAN美しく散った!歴史的8強あと一歩逆転負け…世界驚かせ終戦
「ロシアW杯・1回戦、ベルギー3-2日本」(2日、ロストフナドヌー)
サッカーのW杯ロシア大会を戦う日本代表は2日(日本時間3日未明)、史上初の8強入りをかけて優勝候補のベルギーと対戦して2-3で敗れた。後半にMF原口元気(27)=ハノーバー、MF乾貴士(30)=ベティス=のゴールで2点を先行も、3失点を喫して逆転負け。西野朗監督(63)は「結果は残念の一言」と悔しさをにじませた。また今後の代表体制について、元ドイツ代表監督のユルゲン・クリンスマン氏(53)が次期監督の有力候補に浮上していることが判明。西野監督の続投案とともに協会内で検討が進められる。
それは悪夢の12秒間だった。相手GKクルトワがつかんだボールを手放してから、誰もが全力で相手選手を、ボールを追った。ただ届かない、届かない。歴史の扉へ手をかけ、重い扉は確かに開きかけた。それでも、向こう側へと到達することはなかった。
「最後、アドバンテージを持って勝ちきるプランはあったが、あそこまで覆させられるとは…。まあ(これが)W杯なのかなと」。敗戦の瞬間、西野監督の脳裏に浮かんだのは、未知なる領域に足を踏み入れかけたからこそ感じた、畏怖の念。堂々たる戦いを続けてきた西野JAPANのロシアでの挑戦は、ここで終幕を迎えた。
小学校時代、備品箱に入っていた一つのサッカーボールとの出合いが、指揮官を夢の祭典へと導くきっかけとなった。埼玉県の浦和市(現さいたま市)出身。「サッカーどころなのでね。それでおそらくボールは置いていたのだと思う」。水泳や陸上、ソフトボール。多くのスポーツに触れてきた西野少年がのめり込んだのがサッカーだった。
サッカーを始めて間もない頃、大宮サッカー場(現・NACK5スタジアム)で日本代表の親善試合を見た。「代表チームに対しての憧れはその頃から持っていました」。ただ、当時、世界との距離感は遠い。「日本代表がW杯となると想像つかない、結びつかなかったですね。アジアで勝ち抜くのも難しかった時代だったので」
世界はブラウン管の向こう側にあるものだった。特に熱中したのは「空飛ぶオランダ人」と呼ばれたスーパースター。「クライフ。とにかくかっこいいっていうのがありましたよね。プレースタイル。それだけだった」。現代サッカーに大きな影響を及ぼした偉人は、故人となった今でも尊敬の対象。柏を指揮していた際は、クライフの薫陶を受けた助っ人FWストイチコフから、ことあるごとに人物像を聞いたという。
日本代表監督として、初めて立ったW杯という舞台。攻撃的なスタイルで勝利を目指す中、第2戦のセネガル戦で仕掛けた「オフサイドトラップ」は、クライフが中心となった74年W杯西ドイツ大会で世界に発信されたもの。第3戦・ポーランド戦の前に口にした「疲れを知らないボールを有効に走らせたい」も同氏の格言を連想させる。
そして、ベルギー相手に真っ向勝負で打ち合った。前体制で培ったものをベースに「自分のオリジナリティー、何かアクセントになるものはチーム、選手に与えてきたと思う」。日本人2人目となるW杯指揮官。選手を信じ、そして自らの半生を信じて振るったタクトには指揮官の夢が詰まっており、また、見るものにも夢を与えるものだった。