森保監督の次男・圭悟さん “メンタルお化け”の親父へエール「楽しめ!」
サッカーW杯カタール大会(20日開幕)に臨む日本代表メンバー26人が1日に発表された。森保一監督(54)は史上初となる「ベスト8以上」を掲げ、「簡単な目標ではないが、必ず達成できる」と力を込めた。森保監督の次男で人気ユーチューバーの圭悟さん(29)が2日までにデイリースポーツの取材に応じ、4年に1度の大舞台に挑む父へ「楽しめ!」とエールを送った。圭悟さんの思いを3日間にわたって掲載する。
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2018年7月26日、森保監督は日本代表監督に就任した。発表前、家族のグループLINE(ライン)にメッセージが届いた。「家族にも何かしらの迷惑が掛かるかもしれないし、何が起こるか分からない。家族の了承を得たいと思います」。父の覚悟を感じた。
代表監督の重圧は想像を絶する。賛否両論は容赦なく浴びせられ、常に批判が称賛を上回る。「普通のメンタルではやれない仕事ですよね。僕は無理です(笑)。リスペクト(尊敬)しかない。なりたくてもなれない職業。日本に一人だけなので、すごいなってシンプルに思います。日本サッカーのピラミッドの一番上にいるわけで、そんなことはなかなか経験できないし、それをやっているだけですごい。不思議な感覚もあります。(父への批判には)さすがにいい気持ちにはならないですけど(父は)覚悟を持ってやっているし、自分が何かを思うことはないですね。それは分かっていたことなので。例えば解任になったらなったで、それはそういう職業だし、しょうがないかなと思っていました」
国を代表して戦う父との距離については「できるだけ関わらないようにしています」と言う。グループLINEでも「家族間の業務連絡がほとんど」と笑う。試合後も「『おめでとう』みたいな一言に『ありがとう』で終わりみたいな感じ。一ファンとして日本国民として『日本代表勝ってくれ』という思いです。『親父勝ってくれ』というより、日本代表のW杯出場が見たい。一人のサッカー好きの日本人として日本代表を見ています」。
現在は2人とも東京都内に居を構えるが、頻繁に会うことはない。「2、3カ月に1度くらいとかです。日産スタジアムの駐車場とか、仕事の現場で会うことはたまにあります」。最後に顔を合わせた記憶は2カ月ほど前。米国留学に旅立つ弟陸さんを見送った空港だった。「現地集合、現地解散でした。それぞれの仕事があるし、人生があるので。『お互いに頑張ってればいいよね』と思います。それにテレビを見ていれば(父が)出てくるので(笑)」
3月には家族とYouTubeのメンバーを交えて食事をした。最終予選オーストラリア戦という大一番を控えた時期だったが「会えば普段と何も変わらなかった」ことに衝撃を覚えた。「ものすごいプレッシャーの中でやっているはず。どういうメンタリティー(心理状態)でいつも生きているんだろう。めちゃくちゃ普通過ぎたので、この人すごいな、『メンタルお化け』だと思いました。プレッシャーやストレスが絶対あるはずなのに、それが見えない。きっとサッカー界に携わって、代表監督をやれていることを幸せに感じている人なんだ、自分のやれることを常にやってる人だから、勝っても負けてもぶれないんだと理解しました。『解任されても日本サッカーの発展のためだったら構わない』と言っていると聞いたこともあります。自分の仕事を全うしているからこそ、それを言えるのかなと。そして結果的にはW杯出場を決めました。それが親父のすごいところなのかなと感じています」
圭悟さんは1993年9月22日に生まれた。「ドーハの悲劇」が起こる約1カ月前だった。10月28日、W杯米国大会の最終予選イラク戦。終了間際に追い付かれ、日本のW杯初出場は夢と散った。背番号17を背負ってフル出場した森保監督も「悔しく悲しい思い出」と当時を振り返った。
因縁の年に生を受けた圭悟さんにとって「日本サッカー界の大きな出来事というイメージはある」が、もちろん自身にその記憶があるわけでもなく、父から「悲劇」について話を聞かされたことも一度もないという。「ドーハで勝っていたら、親父はW杯に出られていた人生だった。そう考えると、今回のW杯はすごく運命的な大会なのかなと思います」。森保監督は「『ドーハの悲劇』を『ドーハの歓喜』に変えたい」と常々語っている。それは圭悟さんの願いでもある。
世界中が熱狂する4年に1度の祭典に「親父」が挑む。圭悟さんは色紙に「楽しめ!」と記し、短い言葉に思いを込めた。「昔からずっと言われていたので、同じように今の状況を『楽しんでくれ』というふうに思います」と笑みを浮かべた。
◆森保圭悟(もりやす・けいご)1993年9月22日、広島県出身。J1広島の下部組織から流通経大を経て、2016年にオーストラリア2部エッジワースに加入。18年にフィリピン1部マリキナ、19年にドイツ5部相当のコブレンツでプレーし、同年末に自身のSNSで現役引退を発表。20年からYouTubeチャンネル「LISEM(リゼム)」を開設。登録者数は約24万人。兄翔平、弟陸の3人兄弟。
◆森保一(もりやす・はじめ)1968年8月23日、静岡県掛川市生まれ、長崎市育ち。長崎日大高を卒業後、当時JSLのマツダに入社。後に日本代表を務めたオフト監督に見いだされ、92年に日本代表入り。93年のW杯米国大会予選で「ドーハの悲劇」を経験した。J開幕後は広島、京都、仙台でプレー。2003年の現役引退後に指導者へ転じた。12年にJ1広島の監督に就任。同年と翌年の2連覇を含め、J1を3度制覇。17年に東京五輪代表監督に就任し、18年のロシアW杯後から日本代表監督を務める。