浅野拓磨 亡き高校時代トレーナーにささげる恩返し弾 恩人の言葉胸に歴史的勝利貢献

 強豪ドイツから金星を挙げた森保ジャパン。日本代表の逆転勝ちに大きく貢献した一人が、決勝点を挙げた浅野拓磨(28)=ボーフム=だった。浅野は右膝内側側副靱帯(じんたい)部分断裂を乗り越え、W杯での歴史的勝利へと導いた。

 “ジャガー”の一撃で歴史的勝利をつかみ取った。浅野が後半38分に逆転となる決勝弾を突き刺した。「この試合に関してはヒーローになれた。4年前から一日も欠かさず、こういう日を想像して準備してきたので結果につながった」。興奮冷めやらぬ様子で振り返った。

 今は亡き恩人にささげるゴールだった。高校時代のトレーナー、村松正英さんが膵臓(すいぞう)がんと闘い、3月に61歳で死去。「村松さんがいないと今の僕はない」。アジア最終予選でオーストラリアを下し、W杯出場を決めた3月24日、試合終了間際に先制すると自宅でインターネット中継を見ていた村松さんの叫び声が響いた。妻聖子さん(57)は「元気だったときのような野太い声」に驚いた。息を引き取ったのはその3日後だった。

 浅野は精神面も支えられた。「タクが点を取らないと勝てないよ」とエースとしての自覚を促され続けた。その言葉を胸に約10年後、日本代表として歴史的なゴールを決めた。

 ロシア大会ではメンバーに落選し、バックアップとして帯同。ピッチの外から見守ることしかできなかった。だからこそ「ロシアを離れた瞬間から、僕はここしか見ていなかった」と、W杯への思いは一層強くなった。

 だが、今年9月のシャルケ戦で右膝内側側副靱帯を部分断裂。前シーズンも、リーグ27試合3得点と決して結果を残せているとは言えない状況での選出に批判の声もあった。それでも、浅野は「自分を信じてくれた人を僕は分かっている。(批判など)いろんなことを耳にしたけど、何を言われてもそういう(信じてくれる)人のために準備する」。何より、選出を決断した広島時代からの恩師でもある森保監督の起用に応える一発でもあった。

 大家族も浅野の原動力となっている。7人きょうだいの三男として生まれた。養ってくれた両親には感謝が尽きず「僕はプロになって家族を養っていかないといけない」という覚悟があった。インスタグラムには弟たちとのプライベート写真を投稿するなど、今でも気にかけ続けている。

 「優勝できると思っている」と大会前には言い放った浅野。V候補をいきなり倒し、半信半疑だった全ての人を見返した。

 ◆浅野拓磨(あさの・たくま)1994年11月10日、三重県菰野町出身。四日市中央工高で2年時に全国選手権得点王。卒業後は広島でプロデビュー。16年にアーセナル(イングランド)と契約後は期限付き移籍でシュツットガルト(ドイツ)、ハノーバー(同)でプレー。パルチザン(セルビア)を経て21年にボーフム(ドイツ)に加入した。173センチ、71キロ、利き足は右。

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