伊東純也 最適の場所渡り歩いたサッカーの道 恩師・神奈川大大森監督が明かした原点
サッカーW杯カタール大会に出場している日本代表の伊東純也(29)=スタッド・ランス=は大学時代に大きく成長した。その才能を見いだしたのが神奈川大の大森酉三郎監督(52=当時総監督)だった。アジア最終予選では4戦連発でチームを救うなど、日本代表で欠かせない存在となった伊東の原点を恩師が明かした。
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大森監督は高校3年生だった伊東が神奈川大の練習に初めて参加した時のことが今でも忘れられない。「我々の前を稲妻が走った。まさにダイヤモンドの原石だった」。技術など足りないものはあったが、スピードは当時から別格だった。
ただ、マイペースな性格が時にマイナスに映ることもあった。推薦入試の実技試験当日には「やる気があるようには見えなかった」と大森監督。練習が始まっても「タラタラしていた」ことで一喝した。「今日が何の日か分かっている?」と語気を強めると、伊東も「すみませんでした」と頭を下げ、切り替えたという。
高校時代に全国大会への出場はなかったものの、国士舘大や東海大といった強豪への進学も選択肢にあった。だが、いずれも全寮制で上下関係が厳しい。それゆえ伊東は敬遠し「自宅から通えるから」という理由で、「ぎちぎちの先輩後輩関係はない」(大森監督)神奈川大に進んだ。
関東大学リーグのデビュー戦となった流通経大戦では1年生ながらインパクトを残した。2-0の後半途中から投入されると圧倒的なスピードで2アシスト。山村和也(現川崎)らJ内定者を擁する相手に、得点に絡む活躍を見せた。偶然、神奈川大の佐々木翔(現広島)を目当てに来ていた甲府の森淳スカウトも「粗削りだがこのスピードは他にはない」と魅了された。伊東自身も「大学1年時にプロが明確な目標になった」と振り返る。
「彼が彼でいることを許される場所を選んできた。進路を選ぶ天才」と大森監督は伊東を評する。1年時に4年だった佐々木に『ジュース買って』とねだるような弟気質で愛されるなど、伸び伸び過ごした大学時代。プロデビューした甲府でも1年目から試合に出場。柏でも出場機会を得続け、ベルギー1部ゲンク、フランス1部スタッド・ランスでも結果を残した。自分のプレーを十分に発揮できる最適の場を渡り歩き、焦らず着実にステップアップしてきた。
精神的にも大学4年間で成長した。2年時に練習への遅刻を繰り返したことで丸刈りにしたこともあったが、3、4年と学年が上がることで責任感が芽生え、地域との活動にも参加。地域の中学生とのサッカー教室ではコーチ役として熱心に子どもたちを指導した。
「彼は普通の物事の選び方ではない。だからこそ日本代表にたどり着いたのかな」と大森監督。決してエリート街道ではなかったが、自分なりに決めた最善の選択がW杯へのピッチに通じている。
◆伊東純也(いとう・じゅんや)1993年3月9日生まれ。29歳。神奈川県横須賀市出身。中学時代は横須賀シーガルズジュニアユース。神奈川・逗葉高から神奈川大に進学し、関東大学リーグ2部では得点王や2度ベストイレブン獲得。15年に甲府でプロデビュー、16年に柏へ完全移籍して17年にJリーグ優秀選手賞。19年にベルギー1部ゲンクに期限付き移籍し、20年から完全移籍。22年からフランス1部スタッド・ランスに完全移籍。21年11月には一般女性との結婚を発表。176センチ、68キロ、利き足は右。
◆大森酉三郎(おおもり・ゆうざぶろう)1969年12月7日生まれ。52歳。神奈川県茅ケ崎市出身。藤嶺藤沢高から中大、海上自衛隊厚木基地マーカス、エリースFC東京などを経て神奈川大の監督に就任。09年にはユニバーシアード日本代表のコーチとして銅メダル獲得に貢献。J1湘南のアカデミーダイレクター兼U18監督も経験。血液型はA。