九州温泉ねこめぐり第2回 熊本・黒川温泉「和らく」“気まぐれ部長”ビビりのビビ
熊本県阿蘇郡南小国町の黒川温泉は、情緒ある和風旅館が山間の渓谷沿いに立ち並び、どこか昔懐かしい雰囲気が漂う。温泉街中心部から約2キロ離れた奥黒川にある「里の湯 和らく」。駐車場や母屋では、サバ白のビビ(オス、推定6歳)が、宿泊者や日帰り入浴客を気の向くままに出迎えている。
「里の湯 和らく」は1999年に開業。2009年7月に一室大人2人限定の宿としてリニューアルし、「大人の隠れ家」とも呼ばれている。「日々の喧騒を離れ、自然豊かなこの奥黒川で、長年連れ添ってきたご夫婦など大切な方と2人だけの特別な時間をゆっくり過ごして頂ければ」と同館チーフの二子石康高さん(38)は話す。
かやぶき屋根の山門にかかる常盤色ののれんをくぐり、木々の小道を歩いていくと母屋(フロント)があり、その裏手に宿泊者専用の離れが4棟(全11室)、清流の火焼輪知(ひたきわち)川に寄り添うように並んでいる。全室にウッドデッキとガラス張りの半露天風呂があり、緑の木々を眺めながら入る温泉は開放感たっぷり。泉質は硫黄泉で、日帰り入浴客のための野天風呂や穴湯も人気だ。
8月初旬、同館を訪れたとき、ビビは木々の小道にいた。しばらく野草の匂いを嗅いでいたかと思うと、塀の上へジャンプし、母屋の屋根裏へ。そこは風が通り抜けて涼しい。猛暑が続く夏の日中は、そうやって日陰の快適な場所を見つけてくつろぐ。冬場は温泉の熱交換器のそばがポカポカしてお気に入りの場所だ。
「猫が苦手な方もいるため、ゲストが滞在される離れの方へは行かせないようにしています。母屋でお客さんをお出迎え、お見送りするのは気が向いたときだけ。なので『気まぐれ部長』って呼んでます(笑)」と二子石さんは微笑む。
ビビが同館に現れたのは、2012年7月の九州北部豪雨のときだった。母猫とはぐれてしまったのか、敷地内の水路でずぶ濡れになっているビビを、大女将の遠藤小須枝さんが見つけた。まだ手のひらに乗るほどの大きさ。震える体をすぐにふいてやり、エサをあげたのがきっかけでここに住み着き、飼い始めた。
「ビビ」という名前は、その出会いにビビッときたから?と思いきや、「この子は幼いころからビビり(臆病)なんです。警戒心が強く、ちょっとした物音でもすごくびっくりするんです。だからビビくんって名付けたんですよ」(二子石さん)
ふと気づいたのは、パンフレットやホームページに載っている同館のロゴマークに一匹の黒猫が描かれていること。でもビビはサバ白柄だし…と首をかしげていると、二子石さんが「描かれている黒猫は『くま』っていう名前なんです」と教えてくれた。実はこの黒猫、二子石さんの妻で若女将の千枝さんが、かつて飼っていた愛猫だそう。
「くまは9年前、ここがリニューアルしたときの初代看板猫でした。お客さんの肩の上に乗ったり甘えたりと、とても人なつこい性格で、人気者だったんですよ。でも1年ほどたったころ、不慮の事故で突然亡くなってしまって…」。まだ3歳だったくま。若女将はたいそう悲しみ、当時は「もう猫は飼わない」と誓ったほどだった。
それから2年ほどがたち、よりによって集中豪雨の日、ずぶ濡れで現れたのがビビだった。ビビがやってくると、大女将や若女将をはじめ、スタッフや宿泊者の間にも、くまがいた頃のような笑顔が戻ったという。
「天国のくまがこの宿を守ってくれていて、みんなが寂しがらないようにとビビを遣わしてくれたのかもしれません。今ではビビは、いなくてはならない存在です」と二子石さん。日中は敷地内のお気に入りの場所で過ごしているので、必ずしも会えるわけではない。出会えた人はラッキーかも。(デイリースポーツ特約記者 西松宏)*「里の湯 和らく」熊本県阿蘇郡南小国町黒川6351-1 電話0967・44・0690