河内音頭の盆踊りが東京・錦糸町で3万人動員の夏フェス化、自由度の高さで独自の進化
夏といえば盆踊り。全国津々浦々で踊りの輪が広がっている中、大阪発祥の河内音頭が東京の下町を代表する歓楽街・錦糸町で夏の風物詩となっていることをご存じだろうか。ヤフー検索の調べによると、今の時期に「河内音頭」の関連ワードを検索するユーザーが増えるという。そこで、8月29~30日に開催される「第37回すみだ錦糸町河内音頭大盆踊り」を目前に、その背景と魅力を探った。
池田高校が“やまびこ打線”と称された猛打で甲子園を制した1982年の夏、錦糸町の河内音頭はパチンコ店2階の空きスペースから始まった。2000年代に入ると高速道路の高架下を会場とし、近年は2日間で約3万人を動員する日本最大規模の盆踊りへと独自の進化を遂げた。
運営団体「首都圏河内音頭推進協議会・イヤコラセ東京」の議長で、第1回から運営に関わってきた鷲巣功氏は「今のような盛り上がりになったのはここ10年弱くらいです。若い人がすごく多くなって、それこそ“夏フェス”のようなノリになってきていますね。SNSで情報が共有されたことも大きい」と背景を説明し、河内音頭の魅力を「誰でも飛び入り参加できる自由度の高さ」と評した。
河内音頭における「自由度」を表す象徴の一つにエレキギターの導入が挙げられる。
プロデュースや雑誌での執筆など、音楽に関わる活動を幅広く続ける鷲巣氏は「最初、真っ暗な中で太鼓と歌だけだったと思うんです。それで三味線が入り、電気が安定して供給されるようになると大きな音が出せるエレキだと。それは非常に必然性のある導入だと私は考えています。本来、民謡は民衆の間から沸き起こった踊れる音楽とするなら、そうやって変わっていくものでは」と解説する。
河内音頭が一般的な知名度を獲得した例としては、60年代に大ヒットを飛ばした鉄砲光三郎であり、バブル景気末期の91年にアルバイト情報誌のテレビCMで話題になった河内家菊水丸の「カーキン音頭」。世代差はあれど、従来の民謡にはない大衆性と先鋭的な音楽性を感じさせた。
踊りの自由度も高い。河内音頭における踊りの一形態「マンボ」について、鷲巣氏は「戦後、(キューバ出身の音楽家)ペレス・プラードによるマンボの大ブームがあって、新しい踊りはとりあえず“マンボ”と名付けられた。東京と本場とは拍や間合いの取り方が違う。河内の人が『あれは錦糸町マンボや』と言われたみたいで」と由来を説明し、「その微妙なズレが非常に面白い」と指摘した。
さっそく本番前の練習会を取材。「手踊り」や「錦糸町マンボ」の動きを初歩から学んだ。浪曲師の瑞姫(たまき)さんは「初めて参加しました」と、本業の浪曲に通じる物語に節(ビート)が絡む踊りを体に刻んだ。
鷲巣氏は「鳴門会、五月会、鉄砲光丸会という河内の3大会派に来ていただきます。生の音頭を味わっていただければ」と意気込む。会場は錦糸町駅近くの竪川親水公園で、両日とも午後5時半から同9時半まで。参加費無料だが、100円以上のカンパで特製うちわがプレゼントされる。平成最後の夏、3万人の「エンヤコラセー、ドッコイセー」が錦糸町にこだまする。
(デイリースポーツ・北村泰介)