「銀ブラ」のルーツに諸説あり ブラブラ散歩?ブラジルコーヒー?

明治の文豪たちも通った由緒ある喫茶店「銀座カフェーパウリスタ」
現在の銀座通り
銀座のシンボル「服部時計店」
3枚

 国土交通省が先日、7月1日時点の基準地価を発表した。27年ぶりに全国平均が上昇する中、全国の商業地の最高価格は東京・銀座2丁目の明治屋銀座ビル。そんな“一流の街”にまつわる言葉に「銀ブラ」がある。「銀座をブラブラ歩くこと」と解釈されがちだが、果たしてそうだろうか。諸説ある中、謎解きのキーワードとなるのが銀座8丁目のコーヒー店「銀座カフェーパウリスタ」。日本のコーヒーの発祥地として現在も営業を続ける、知る人ぞ知る名店が「銀ブラ」と深く関係しているという。

 芥川竜之介ら同店の常連だった文豪たちが、銀座のカフェで本場ブラジルのコーヒーを飲む、つまり「銀ブラ」といったところから始まったという説がある。ちなみにこの店は“ブラジル移民の父”と言われる水野竜氏が、コーヒー農園で働く日本人を支援するため、明治43(1910)年に創業したもの。他にも大正初期、慶応の学生がブラジルコーヒーを飲むために同店まで歩いたことから、当時の慶応の学生が流行させたという説もあるとか。実際のところは、どうなのだろう?

 広辞苑によると「銀ブラ」は「銀座通りをブラブラ散歩する事」とされており、もう一歩踏み込んで“銀座でブラジルコーヒー説”を「誤り」と言い切る辞書まである。同店の店長・矢澤秀和さんも「弊社としても『銀座でブラブラ』が先にあったとは思います」と認めている。ではなぜ“コーヒー説”が存在するのだろうか?

 その理由として矢澤さんは「文豪たちも『銀ブラ』という言葉を使っていましたが、慶応の学生たちが“銀座でブラジルコーヒー”を仲間内の言葉として使い、一般に広めていったと聞いています」と証言。語源は「銀座でブラブラ」に譲りながらも、言葉が一般的に広まっていく過程で同店が大きな役割を果たしたという主張だ。

 冒頭の基準地価で全国トップとなった明治屋銀座ビルは、前年比7・7%上昇して1平方メートルあたり4190万円。値段に裏付けられるように、銀座は昔からワンランク上の気品も備えた一流の文化に出会える繁華街として位置づけられている。でなければ「銀ブラ」という言葉も生まれなかっただろう。

 遡ると徳川幕府が開かれるまでは海だったという。城下町を造るために埋め立てられ、職人が住むようになったのがこの地の起源。そもそも「銀座」は銀貨鋳造所のことで、地名として銀座を名乗ったのは明治2年から。とはいえ、当時から日本の中心地であることは変わらない。

 「銀座カフェーパウリスタ」には、先述した芥川竜之介の他、名だたる文豪である菊池寛、森鴎外、平塚雷鳥、大杉栄、一世を風靡したビートルズのジョン・レノンなど、そうそうたる顔ぶれが通った。一流の街・銀座の中でも、誰もが一目置く由緒ある喫茶店だ。芥川龍之介は昭和2年に自宅で自殺しているが、その遺稿の中に同店の壁にはめられた鏡が登場してることはあまり知られていない。

 「銀ブラ」は関東大震災以後に始まったという説も根強い。当時の最先端を行く若者たち「モボ(モダンボーイ)」・「モガ(モダンガール)」などハイカラな人たちは、銀座の歩道を歩いたり、店を冷やかしたり、喫茶店に入って教養の高い話をした。これらが中産階級を自負する人たちの行動パターンとなり、言葉としても浸透したという。

 矢澤さんは「発端の一翼を担ったと軽く主張させていただいてますが、“銀ブラ”は銀座の共有財産です」と言う。若者にとっては“死語”に近い「銀ブラ」という言葉。話題となって生き残っていくためには、起源に諸説あることはプラスに働くかもしれない。(デイリースポーツ特約記者・二階堂ケン)

関連ニュース

ライフ最新ニュース

もっとみる

    主要ニュース

    ランキング

    話題の写真ランキング

    リアルタイムランキング

    注目トピックス