なぜクリスマスは12・25なのか…聖書にはキリスト誕生日の記述なし?

この季節になると街中はさまざまなクリスマスツリーで彩られる
この季節になると街中はさまざまなクリスマスツリーで彩られる
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 世界中の人たちが、12月25日をイエス・キリストの誕生日として「メリークリスマス!」と祝っている。しかし、誰がこの日をイエスの誕生日と決めたのか?実は、聖書のどこを見てもイエスが紀元元年12月25日に生まれたとは書いていない。実際“この年月日は間違っている”というのは多くの学者や歴史家も指摘している。

 イエス・キリストの降誕祭であるはずのクリスマスが、いつから12月25日となったのか-はっきりした記録は見当たらないが、一説には4世紀ごろに12月25日がクリスマスとして制定されたという。それは、小アジアで開かれた公会議「二ケア会議」。当時、ミトラ教が12月25日を太陽の誕生日として祝っており、キリスト教がこれを受け入れたとされる。ミトラ教とは、ペルシャ起源の信仰で、太陽神、光明神、戦闘神のミトラを崇拝したものだ。

 日本における最初のクリスマス礼拝は1552年。場所は今の山口県だったという。来日していた宣教師たちが、日本人信者をクリスマスのミサに招いたのが始まりとされるが、その後、キリスト教は江戸時代を通じて約300年間、幕府によって厳しく弾圧された。宣教師がクリスマスの礼拝を許されるのは明治に入ってからだ。

■赤い服と白い髭のサンタクロースのイメージが定着

 今となっては「クリスマスと言えばサンタクロース」だが、そのサンタが朱頭巾の付いた外套(がいとう)を着て、白いフサフサした髭を生やした姿になったのは、一説によると19世紀のドイツの画家モーリッツ・フォン・シュヴィントが描いたのが始まりとされる。ミュンヘン産の紙に印刷されて、各地に広まり、アメリカでは子どものアイドルとなって世界中に知られるようになった。

 イブの夜にトナカイのそりに乗って子どもたちにプレゼントを配るとされるサンタクロース。では、そのふるさとは?

 諸説ある中で、そのひとつがフィンランドの「ヨウルマー」説。サンタの家には、クリスマスツリーが光り輝き、伝統的な美しい飾りで、まるで夢の世界のようだという。ここには郵便局もあり、世界中の子ども達から、毎年50万通を超える手紙が届く。

 他ではスウェーデンの「モーラのトムテランド」という説も。「トムテランドの日本事務所」も設立されており、日本の子どもたちのために、サンタへの手紙の仲介をしている。

 日本では、フィンランドのサンタクロース教会と提携して、北海道旭川市、函館市、青森県の岩崎村に日本サンタ村がある。そこで人気なのが、毎年函館市で行われている「函館サンタラン」だ。

 これは、子どもから大人までの参加者がサンタの衣装で函館中心街をパレードする催し。参加料を払えば誰でも参加可能で、衣装も提供してくれるとあって観光客もこぞって参加するユニークなイベント。その参加料は「病院に入院している子どもたちへのプレゼントに使われる」(サンタラン実行委員会)という、心温まるイベントなのだ。この「サンタラン」は最近では、日本各地で開催されている。ともかく「クリスマス」と「サンタクロース」には、いつの時代も謎がつきものだ。(デイリースポーツ特約記者・二階堂ケン)

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