アルフィーの“嘆きの母音”~86歳元記者が27年ぶり武道館で目撃した「おちゃらけ精神」
86歳の元新聞記者が師走恒例となったTHE ALFEE(ジ・アルフィー)の日本武道館公演を27年ぶりに訪れた。終演後はメンバーの楽屋を順番に“個別訪問”し、高見沢俊彦(64)、坂崎幸之助(64)、桜井賢(63)と旧交を温めるという現場に立ち会った。大ベテラン記者に今も変わらないアルフィーの“核”を聞いた。
アルフィーは1981年から5年間、特派記者としての取材記事や試写会で見た映画評、近況報告などをデイリースポーツで毎週連載した。当時の企画担当者がレジャー芸能部長を務めていた島久夫氏。今夏、連載終了から32年ぶりの再会を果たし、メンバーの強い希望もあって、“封印”していたライブ鑑賞を12月23日に解いた。
アルフィーが初めて日本武道館公演を行ったのは「メリーアン」が大ヒットした83年。島氏は「紙面で彼らは『武道館を満杯にする』と書いたのですが、2階席には空席もあった。それが今回は最上段までびっしりと立すいの余地もない。35年積み重ねたものを感じた」と感慨に浸った。
島氏が初めて日本武道館でコンサートを体感したのは66年のビートルズ。歴史的瞬間に芸能記者として立ち会った。「アルフィーの武道館公演は3~4回見て、最後に行ったのは定年前の59歳くらい。ベルリンの壁崩壊(89年11月)から2年後でした」。ということは91年以来となる。
「80年代、会場には10代から20代前半の若いファンしかいなかった。それが今では幅が広がりました」と島氏。確かに観客はリアルタイム世代の50代以上が圧倒的だが、そのジュニア世代の20~30代も少なくなかった。
坂崎は「子どもが大きくなって落ち着き、久しぶり行こうかなという復活組がいる一方、毎回、初めて来るという人がいる。バランスが取れてきた」と底辺拡大を実感。島氏は「ファンを大切にするところが変わらないからです」と指摘した。
変わらない部分の一つが「おちゃらけ」だと島氏はいう。本編後のアンコールが69分にも及ぶ実質的な第二部になったのだが、その前半で和服姿のメンバーは「昭和三兄弟」を名乗って「星降る街角」などのムード歌謡を熱唱。さらに、クリスタルキングの「大都会」の長いイントロから高見沢が歌うと見せかけて「あ~、やめとくわ」の一言で、坂崎と桜井がずっこけた。
また、桜井が「ザ・アルフィーの~」と自己紹介した際、高見沢が「中学の英語で習っただろう。母音の前は“ザ”じゃなくて“ジ”」と突っ込むと、桜井は「母音(ボイン)は赤ちゃんのためにあるんやで~」と、今年亡くなった月亭可朝さんの「嘆きのボイン」を歌いだした。島氏は「昔からコミックバンド的な要素で笑わせてくれた。彼らのサービス精神」と絶賛した。
長年、コントでボケ役に徹する桜井は「平成も終わりますが、昭和を残したい」と意欲的。高見沢は「同じことの繰り返しでドラマがある。続けていくことの大切さが分かった」と明かす。島氏は「アルフィー精神が伝わってきました」と感無量の表情。メンバーから「来年で結成45年。体にはお互いに気を付けて頑張りましょう」とエールを送られた。(デイリースポーツ・北村泰介)