【平成物語1】長州力と福島へ…放射能の「見えない恐怖」を体感
激動の時代「平成」がカウントダウンに入った。30年間に起きた事件、出来事をデイリースポーツ記者が独自の視点で描いていく。第1回は平成23(2011)年3月11日に発生した東日本大震災。プロレスラー・長州力(67)と共に福島県の被災地に入った記者が当時の様子を再現する。
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その時、車内のガイガーカウンターが警告音を発した。窓を閉め切っていても、針は危険な数値を示す赤いラインを超えて激しく揺れた。飯館村に入った時のことだ。福島第1原発事故によって土壌から放射性物質が検出され、6月までに約6000人の村民の9割が福島市に避難。村内は閑散としていた。
11年6月5日朝、記者は郡山市で長州と合流。所属事務所社長の谷口正人氏が運転する車に同乗し、相馬市の避難所に向かう道中で飯館村を通過したのだ。助手席の長州は「40歳を過ぎたら放射能は関係ないから」。根拠はともかく、その言葉で重い空気が軽くなった。
相馬市では豚汁を提供し、トイレットペーパーや菓子を配布。「地震があっても悪いことばかりじゃないわね」。谷口氏は女性の一言に救われたという。
さらに原発から20~30キロ圏内にある南相馬市の避難所(中学校)に移動。因縁の大仁田厚と“ガチ遭遇”した。「議員バッジ、また付けようってんじゃないだろうな!!」と長州。大仁田は「そんな、コソクなマネはしませんよ!!」と応酬した。
帰路、原発から20キロの警戒区域の境界線で車を降りた。「立入禁止」の看板前に大阪ナンバーの警察車両が止まっており、Tシャツと短パンの長州にそのラインをまたいでもらって写真を撮った。住民の姿はない。近くに一軒あるコンビニは午後3時閉店だった。
どんよりした空の下、風に含まれているかもしれない放射能への不安がつのる。見えない恐怖。神社の鳥居の下には放射能標識があった。長州は「SF映画みたいな現実」とうなる。立入禁止区域にも迷い込んだ。パトカーに誘導されて引き返し、福島を後にした。
車内では長州が好きなボブ・マーリーのベスト盤が流れていた。代表曲「エクソダス」のテーマ“脱出”を福島に重ね、残る人への後ろめたさを感じた。長州は「福島が取り残されている」と漏らした。記者は6月24日に再び南相馬市での炊き出しに参加。田んぼには津波で流された船がまだ転がっていた。
あれから8年-。長州は「復興をアピールした東京五輪が来年開催される。素晴らしいことだが、原発の問題など、完全な復興はなされていない。被災地を忘れないで欲しい」と訴えた。平成が終わっても、震災の爪痕が消えることはない。(デイリースポーツ・北村泰介)