不思議なビル…東京・三田で建築中の「蟻鱒鳶ル」に込められた1・17神戸の記憶
1月17日は1995年の阪神・淡路大震災が発生した日。当時、被災地の神戸市長田区に住んでいた記者は倒壊した鉄筋コンクリートの建物を生活圏内で目の当たりにした。その時、長田区で同じ現場を目に焼き付けた建築家が今、東京都心の一角で「23世紀まで生き続けるビル」を自力で建設している。あの日から24年。干支が二回りした2019年の年明け、「蟻鱒鳶ル(アリマストンビル)」という不思議な名前の建物を見に行った。
オフィスビルや飲食店が密集する東京・三田。近くの交差点からは東京タワーがまじかに見える。兵庫県の三田は「さんだ」と読むが、こちらは「みた」だ。JR田町駅から徒歩約10分、慶応大の三田キャンパスから5分ほど歩き、聖坂を上ると、密集するマンションの狭間に「なんじゃこりゃ!?」という建物が異彩を放っている。
一級建築士の岡啓輔さんが05年11月に着工。購入した土地での自宅として、地下1階、地上4階を想定し、13年2か月を経た現在も建築中だ。そこから、スペイン・バルセロナの「サグラダ・ファミリア」の設計者にちなみ、メディアでは「三田のガウディ」と称されることも。変わった名称は「蟻」「鱒」「鳶」いう陸海空を生きる動物と、学生時代に心酔した建築家ル・コルビュジェの「ル」に由来するという。
記者が訪れた19年1月の時点では3階部分に天井がなく、屋上のような状態だった。壁の上部からは鉄筋が「トウモロコシのヒゲ」のような形状で天空に向かって伸びている。1~2階の外壁には「波打つゼンマイ」のような意匠も施され、側面から見た光景は「都会のビル群の間に停泊する帆船」のようだ。自由で、即興的で、建物が踊っている-。そんな印象を受けた。
念のため、先述のカッコ内の表現はいずれも記者の主観による形容であり、見る人によって十人十色の見立てができると思う。その多様性こそが、この建物の魅力だろう。
岡さんが昨年出版した初の著書「バベる!自力でビルを建てる男」(筑摩書房)には、長田で目撃した衝撃もつづられている。
95年1月下旬、岡さんは神戸市長田区を目指した。芦屋駅から長田まで歩く道中、そして同区内の避難所を訪ねる中、外観は高級そうな鉄筋コンクリートのビルが倒壊している現実を見た。コンクリートの強度が低いこと、つまり施工での手抜きを感じたという。
その思いから、水分を大幅に減らすことでコンクリートの強度を図った。「セメントの質量に対する水の質量の割合は60%前後が主流だが、『蟻鱒鳶ル』では37%程度。水が少ない分、固まる前のコンクリートの粘り気は強くなる。練るのも型枠に打ち込むのも一苦労だが、稠(ちょう)密で硬くなる。寿命も伸びる」(岡さん)。専門家はその数値に驚き、「100年や200年は余裕で持つレベル」と指摘した。
「23世紀への贈り物」となりうる建築をじっくりと時間をかけて練り上げていく。その発想の源流の一つには95年における長田での体験があったといえるかもしれない。「1・17」の記憶はその後を生きる人たちによって全国に拡散している。(デイリースポーツ・北村泰介)