【平成物語3】「物言う株主」村上世彰氏が虎の歴史を塗り替えた
【平成17(2005)年 村上ファンド騒動】
なにげない電話でのやりとりが、のちに続く大きな“事件”の鳴動だったとは-。
「すごい上がり方です。何かありますよ、これは」
岡田阪神のリーグ優勝が目前に近づいていた平成17(2005)年9月23日の深夜。出稿作業を終えた後、トラ番キャップの岩田卓士と交わした雑談の中で「そういえば…」と、阪神電鉄株の急騰が話題に。
株価で見れば阪神百貨店もすさまじい高値をつけている。「3年間で2度目のVやしなぁ。ご祝儀相場ちゃうか?」と気楽な構えだった野球デスクの私をよそに、トラ番たちは取材の手配を進めていた。
ただし、真相に迫る間もなく事態は動く。週が明けた27日、電鉄株の実に26・67%、百貨店株も18・19%が投資ファンドに取得されていたことが判明。「物言う株主」として知られた村上世彰氏が、我々の主戦場に突如登場した瞬間だ。
以後の展開はさながらジェットコースターのようだった。
阪神電鉄の筆頭株主に躍り出た村上ファンドが次々と繰り出してきた奇手、搦(から)め手。「タイガースの株式上場」を提案し、日本シリーズ前の10月11日には大阪・野田の阪神本社に乗り込んで直談判する。
村上氏の真意を探るべく、報道部長の改発博明の携帯電話番号を知人を介して伝えたところ、本人から直接かかってきた。ファンドの広報部長もスポーツ紙の取材が珍しかったためか好意的で、途中経過を何かと教えてくれもした。
翌平成18年、遊軍記者として外勤に戻った私は改めて“事件”に向き合う。連盟担当の岡本浩孝とともに、阪急との経営統合から球団保有権の移転、そして衝撃の「新規参入扱い」へと流れ落ちていく球界の波浪を追い続けた。
オーナーだった宮崎恒彰の奔走で、事態は最終的に「球団資格の再審査→保証金30億円の免除」という形で落ち着く。
騒動の功罪をどう描けばいいのか。その年の暮れ、阪急電鉄社長・角和夫の帰還を宝塚南口の自宅前で待ち、答えを求めて次は元阪神オーナー・久万俊二郎のもとへ向かった。
「いろいろ抜かりはありましたなあ」
村上ファンドを触媒に、阪神電鉄とタイガースは歴史の塗り替えを余儀なくされたのだ。神戸の住吉山手の、さして大きくはない居宅の自室で久万は、目をしばたたかせて繰り返した。「抜かりはあった」と。(デイリースポーツ・善積健也)