商業捕鯨再開で大阪の食文化どうなる?老舗クジラ料理店女将の複雑な胸の内
7月から日本近海で「商業捕鯨」が再開される。昨年暮れに日本政府が国際捕鯨委員会(IWC)からの脱退を表明したことによるもので、クジラ漁の解禁は実に31年ぶり。だが、手放しで喜んでばかりもいられない状況のようだ。大阪・ミナミで1967年に創業したクジラ料理の名店「徳家」の名物女将、大西睦子さん(76)に胸の内を聞いた。
「良かったと思う人は多いでしょうが、しんどい話ですよ。いろんなところに配慮しないといけませんからねぇ」
大西さんは生粋の浪速っ子。捕鯨文化、しいては大阪の食文化を守ろうとIWC総会時には現地に赴き、ロビー活動をしてきた。訪問先はメキシコ、グリーンランド、アイスランド、ノルウェーなど。「クジラのおかげでいろんなとこ、行けました。でも、進展のないまま30年も引っ張られて」
捕鯨国と反捕鯨国との間で続いた出口の見えない論戦。国際的組織からの脱退という言葉の響きは日本人のメンタリティーの部分で気になるところだが、致し方ない面もある。
「この脱退は我慢に我慢を重ねてのものですからね」
“暗黒時代”に入ったのは82年。IWCが商業捕鯨の一時中止(モラトリアム)を採択したことで鯨肉の入手が困難となり、日本の食卓からクジラ料理が消えた。88年には商業捕鯨から撤退。IWC管理下で調査捕鯨として細々と続けてきた。しかし、ここに来て政府は大きく方向転換。6月に組織を離脱し、7月から領海や排他的経済水域(EEZ)での捕鯨を再開する。
では、今後どんな問題が起こりそうなのか。名物女将は言う。
「実際に大型のクジラをEEZ内で捕ることができるのか。この店でゴマ粒を探すようなもんです。それと果たして安定した購入ルートを確保できるのか。商業捕鯨となると調査捕鯨と違うて生肉も入ってくる。クジラは血抜きなど下ごしらえが大変なんです。また、今の時代にクジラ料理が受け入れられるのかという問題もある」
女将の人生はクジラとともにある。勢い余って世界初のクジラ料理本を講談社から出版している。そもそも大阪に鯨食文化が根付いたのは国内有数の捕鯨地、和歌山・太地町に近く、南氷洋捕鯨の寄港地が神戸だったおかげだそうだ。
「一番は安くておいしかったから。ハリハリ鍋も元々は家庭料理なんですよ。ハリハリとは水菜のこと。おしゃれな名前ですよね」
徳家のハリハリ鍋は、うす口の出汁と高級部位の尾の身が入っているところが特徴。取材日もサラリーマン客で賑わっていた。特に刺身の「尾の身」や「本皮」、甘くてとろっとした「さえずり煮」の評判がいい。
「さえずりはクジラの舌で見た目はぞうきんのお化けようなもの。それがおいしい食べ物に変わるんですからね。先人の知恵です」
店のトレードマークとなっているクジラ親子のイラストはクジラを愛した漫画家・故矢尾板賢吉さんが描いたもの。この先、風はどちらに吹くのか分からない。しかし、浪速の肝っ玉女将は大阪の食文化とのれんを守り続けていく。(デイリースポーツ特約記者・山本智行)