【平成物語9】炎上の元祖!サッチーVSミッチー狂騒曲「引っぱたいてやりたい」
まだ20世紀だった平成11(1999)年 3月、突如として熟女同士のバトルが始まった。片やプロ野球・阪神タイガースの監督(当時)だった野村克也氏の妻・沙知代さん、対するは大衆演劇のベテラン女優・浅香光代。96年に衆院選に出馬していた沙知代さんの繰り上げ当選の可能性が示唆されるようになっていた時期に、浅香が突然ラジオで「引っぱたいてやりたい」と沙知代さん批判をブチ上げた。
当時2人は60代。いい大人同士のバトルに、芸能マスコミは色めき立った。芸能情報といえばスポーツ新聞、週刊誌、ワイドショーがブイブイいわせていた時代。以降は、どんな現場でも、たとえ2人とまったく接点のない登壇者であっても必ず「ところでバトルと言えば、熟女2人が…」という質問が投げかけられるようになった。
2人だけのバトルならそこまで盛り上がらなかったかもしれないが、その後、元フィギュアスケーターの渡部絵美、十勝花子さんらも参戦。沙知代さんからの暴言を暴露するなど批判を展開したため、騒動はさらに広がった。第三者が本人不在でいろいろと語る様子は、「炎上」の元祖だったのかもしれない。
次第に沙知代さんがヒールとしてキャラ立ちするようになると、書く側もノリノリに。99年に発売した自身の楽曲「SUCH A BEAUTIFUL LADY」をライブで気持ちよさそうに歌う沙知代さんも取材したが、もはや壮快。歌詞の「タブーもブタもあるもんか」はしばらく自分の中での流行語だった。
同年には「ミッチー・サッチー」が流行語大賞のベスト10入りするなど騒動は社会現象となった。その後は沙知代さんの学歴詐称問題などが取りざたされるようになり、2001年には脱税容疑で逮捕されるという本当の事件に発展した。しかし、単純に飽きがきたというのもあるだろうが、罪が具体的になるとかえって読者の興味は薄れていったようで、騒動も自然と縮小していった。
騒動が起こった当時、記者は芸能担当になって2年目。発端となった98年の舞台「ミッチーとサッチーのウルトラ熟女対決」の会見も取材していただけに、バトルの印象は強烈だった。芸能マスコミが騒動を“育てた”のを間近で見た気がした。
沙知代さんは17年12月に死去。2人が再び相まみえることはなく、完全決着も、もうない…。(デイリースポーツ・澤田英延)